午前1時のレモネード

翌朝の化粧ノリより、夜更かしの楽しさが大事。

NPCの台詞みたいに「結婚しないの?」「子ども欲しいと思わないの?」って言ってくれちゃってさ

就業規則だの法律だのは俺たちに優しくないからって疑うくせに、自分の未来には結婚と子育てがあると信じて疑わないの、なんで?って私も聞いていいかなぁ。


数ヶ月ぶりに会う、結婚式終わりの男友達たちは、私たちの共通の同期である新郎に当てられたように夢を語る。
そこへ「なんで結婚できるって疑わないの」とドッジボールを暴投してぶつけたくなりながら、おめでたい席くらいは黙っていようと「そう言う自分たちはどうなの?」と問題をすり替える。
まとめサイトの「『結婚しないの?』親族親戚に聞かれて困った時の対処法5つ」とかの、3番目くらいに載っていた。主語のすり替え。多少は役に立つ。



それでも一時しのぎでしかなくて、すり替え切れなくて戻ってきた話に「百歩、いや千歩、やっぱり一万歩くらい譲って入籍だけならできる」と返したらすかさず「じゃあ俺と」というダチョウ倶楽部のネタが始まりそうになるので、「ただし別居婚で頼む」で鎮める。
彼らにとっての結婚はあれだ。『朝は味噌汁の匂いと優しい嫁の声で起こされたい』やつだから効く。

悪いけどそんなの私だってして欲しいし、でも出来はしないので、自分だって無理だから朝の味噌汁なんて求めないよ別居もオーケー、くらいの温度感の人に限って検討できるような気がする。

結婚に求めるものが『困った時に助け合えること』とかであるなら、別に一つ屋根の下に住む必要はないんじゃないかと思うんだけどな。気心の知れた幼馴染のごとく、お隣さんとかの方がほどよい距離感が保てると思うんだけどどうだろう。ええ。あくまで同居希望ね。はい。破談。



「それでも寂しいから子どもは欲しくない?」って、お前らは自らも含めた子どもをなんだと思ってんだ。ペットか。
寂しさを紛らわせるために君たちのお母様はお腹を痛めたわけじゃないし、君たちの奥さんだって命を懸けるわけじゃないよ。
子ども本人だって、親のためじゃなく新しい自分の人生を生きるために生まれてくるのであって、断じて親の老後の寂しさを紛らわせるとか他人の人生のリベンジやら介護要員のために生を受けるわけじゃないわ。

「でも自分の子どもだったら可愛くない?」と聞かれてもなぁ。別に自分の幼少期、可愛いと思ったことがないし。自分の遺伝子を後世に残す必要を一切感じないし。別にもったいなくないよ。でも一応ありがとう、惜しんでくれて。


まあ私だって、子どもがキャベツ畑から収穫されてくるかコウノトリが運んでくるシステムだったら少しは考えるかもしれないよ。
でも残念ながら、私は子どもが欲しいなら産まなきゃいけない側なので、ペットを飼うか飼わないかみたいなノリで欲しいとか言えないんだよ。

「別にそんなペットを飼うようなノリじゃない」?そう?じゃあ聞くけどさぁ。



君たち、ソシャゲは好きか。中でもガチャは好きか。好き、楽しいよね、オーケー。
じゃあ『排出率がN:99.7%、R:0.3%、SRとSSRとURは出ない課金ガチャ』ってどう思う?「課金でそれはありえない」よね?

それが更に『交通事故で全身打撲・骨折レベルの痛みと引き換えに、命を懸けた時のみ回せる』だったら鬼畜だよね?
そして『引いてから排出までは約10ヶ月、リセマラ不可』で『課金額は累計数千万(数十年ローン)』だったら回す?


私は回したくないんだよ。命を懸けてまで自分によく似たNカードを作ろうとは思わないよ。君たち含めて他の人のガチャにはSR以上が装填されてるかもしれないけど、私は最高でもRしか引いてやれないんだよ。

Rに引け目を感じてSRに憧れて、Nの最大値近くまでレベルを上げてRにようやく近付けたと思ったら、彼らも遠く敵わないSSRの存在を知ってしまって凹んで、もはやURなんか別世界だと絶望するNカードの連鎖なんて。もういっそここで終わらせてあげたいんだよ。


「それでもプレイヤー同士の交流は楽しいからそっちで楽しめばいい」?
「というかお前は別にNではない」?「そもそも人間をカードに例えるな」?
うるさいわRカード共。お慈悲をありがとう。あとカードに例えるなっていうのに反論はない。でも私はとりあえずこのソシャゲをデータ消去とか本体を壊す以外の方法で辞めたいんだ。



別に全然、それでも人生に新しい仲間をと願うことを否定するつもりなんかないよ。無駄だとかバカだなんて一切思わないよ。
むしろ尊いと思うしすごいと思うし、新しい希望に純粋に期待できる素直さに憧れすらするよ。

君たちと奥さんがいつか、自分たちの人生に新しい仲間がほしいと望んで選ぶなら、それは素直に素晴らしいことだって祝福する。

でも、現代を生きる私たちが侍の潔さに憧れどもミスで腹は切れないように、夢見る人を支える尊さに夢を見れども芸能マネージャーに転職しないように、いいなと思うこととそれを選ぶことはイコールじゃないじゃん。

うん?「何のゲームの話?」かって?いや確かにちょっとは過ぎったタイトルがいくつかあるけどあくまで例えで、本筋はゲームの話じゃない、忘れて。とにかく、私はそれを否定しないけど選ばないよってことだけ言いたいの。



うっかり語ってしまったところで、私に式の写真を見せてくれていたひとりが「ところでソシャゲの例えを聞いてたら、ガチャを回したくなってきたんだけどせっかくだし回してみない?」と私にスマホを差し出す。え、引いていいの。有料じゃないの。結婚2年目じゃん君、そろそろ落ち着けって奥さんに怒られないの。

何やら無料プレイでも手に入るアイテムを集めて回せるらしい、有料10連ガチャを回す権利をもらったので、言い訳がましく「ビギナーズラックと無欲の勝利を祈ってくれ」とタップする。URなんて絶対引けないけど、確定のSR1枚以外にもう1枚SR出るくらいの収穫はあるといいなぁ。


裏返しで10枚出たカードが裏返っていって、普通にキラキラしたエフェクトが5、6枚続いた後に、何となくでも明らかに豪華なエフェクトが現れてそわっとする。
「これ、今のこれがSR?ちゃんと強いやつ?」と思わず聞くと、スマホの持ち主は画面を覗いて「SSRが1枚だねぇ、持ってるやつだから覚醒できるわ、一応ありがとう」と笑う。


「ところで」と、私が掴んで渡したスマホの反対の端を向こうも掴んだまま、彼はニヤリと笑って「俺、来年の春にはパパになります」とさらりと言う。
結婚式で聞いていたらしい周りの同期は「こいつのジュニアモンスターが爆誕するんだってよ」とへらへら笑う。

ああもう。なんだよ言ったそばから。そんなの絶対可愛いじゃん。

「ロール成功したからさ、どんなクラスでも可愛いに決まってるけどSSRくらいに育つといいよね、おめでとう」と返すと「俺は痛みを代わってやれないから、とにかくひたすらGを稼ぐし、どんなクラスでも全力で育成するわ」と彼も笑う。



好きな人とお互い好き同士になれて、家族や仲間に祝福されて一緒に暮らして、人生に新しい仲間が増えて。
URを引くよりたぶんよっぽど難しいそれを叶えたんだから、さらに幸せになるなんて、言われずとも両手でゲームクリアをするより簡単だろう。

「ねえねえ、私最初の町でちょっといい初期装備アイテムを授ける村人Bになるね」と、彼のスマホをもう一度タップして画面を明るくして、画面いっぱいにぴかぴか光るSSRカードを眺めながら私もへらへら笑った。

人生における重大な決断をだいたいしないという決断について。

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大きな決断が必要なライフイベントって、人生にはいくつか存在する。

若いところからだと受験・進学、その先は就職、人によっては転職も発生する。そのあたりになると結婚というイベントも発生しだす。各イベント発生に伴って引越しイベントも起きることがある。

 

結婚も挙式をするなら日取り会場招待客と決めることが目白押しだけど、結婚した先はさらに決断が必要なイベントだらけだ。

妻となった人が妊娠すれば出産・育児、そして子どもの受験・進学やマイホームの購入なんかも起きていく。

そして書き出してみて思うけれど、「受験・進学、就職・転職」まで終えた私は、ここから先に発生しがちな全てのライフイベントを起こそうという気が全く起きないのだ。参っちゃうくらいにやる気がねーのだ。

 

そもそも、結婚から先に書き出したイベントは全て、一人では起き得ないしできないイベントだ。

結婚には相手が必要だし、その家族や友人・親族も関わってくる。子どもが生まれたら子ども当人はもちろん、そのまた友人・親族との関わりも生まれてくる。

私はたぶん、この「一人ではできない=誰かを巻き込む」ということが死ぬほど苦手なんだと思う。

 

自分の判断が誰かに迷惑を掛ける可能性があるのが本当に本当に苦手だ。迷惑とかじゃなくて世話だしお互い様だよとか、そんな言葉は求めていなくてただただ苦手だ。

適当に決めたり間違えたりした時、自分だけが被害を被るならいいけど、自分以外の人間に被害や影響が及ぶ可能性に耐えられない。

かといって、そんな事態が発生しないよう死ぬ気で守るなんて気概も持ち合わせていない。

だからもう、自分のことだけ選択して決断して、メリットもデメリットも受けるのは自分だけで完結できる「一人で生きる道」を選び取りたい。という決断をしたい。

 

「決断する」ではなく「決断したい」としか言えないのはやっぱり、長いものに巻かれたさがどこかであるからだ。

人と違うというか、少数派な選択をするのはエネルギーがいる。「どうして皆と同じにできないの」という同調圧力に晒されることになるのはよく知っている。

学生時代は、それを分かった上でも少数派の選択をするのはわりと余裕だった。

「少なくとも今ここでの多数派少数派なんて、この学校内だけのどうでもよくて数年後には恥ずかしくすらなるような暗黙の了解だ」と知っていたから。

その狭い世界の中なら、有無を言わさない目立つ結果を残していれば、少数派を多数派にすることはできないまでも「栄光ある孤立」のような不可侵のポジションを築くことくらいはできた。

 

でも社会に出るとそうはいかなくて、本当は必ずしも必要ではなくて通過を選択できるはずのライフイベントも「大人になるための通過儀礼」なんて扱いをされている。

そしてひとつの学校という小さな世界なんかではなく、もっと有象無象の意思が集まった「世間」だの「世論」なんてものが闊歩している。

さすがにそれをひっくり返せると思うほど幸せな思考回路は持ち合わせていない。だから有象無象の意思と毎回毎回戦えるほどに覚悟は強いのかと問われると、長いものに巻かれて楽になれたらいいな、と思わないとは言えなくなる。

 

例えば。「世間一般の普通になりたいから、結婚だけしてください。でも出産育児はしたくないです」

そう言って奇跡的に受け入れてくれる誰かが居たとして。でもその先はまたどうしたらいいんだろう。

「結婚はまだなの?」攻撃からはそれで逃れられたとして、その攻撃の使い手は今度は「お子さんはまだなの?」攻撃をしてくる人にジョブチェンジするだけじゃないのか。

パートナー自身がよしとしても、その家族には受け入れてもらえるのか。自分の家族はよくても、パートナーの家族に孫を見せられない負い目に耐えられるのか。

とか思って子どもを持てたとして、そんな理由で産み落とされる子どもは可哀想じゃないか。幸いに子どもが生まれてみて愛せたとして、今度は外野に口出しをされることなくその子どもを幸せになれそうなレールに乗せることに躍起にならざるをえなくて、結局誰にも文句を言われないなんて一生無理じゃないのか。

 

取らぬ狸の皮算用だと笑われるような話だということは知っている。

知っているけれど、自分のライフイベントを誰かと共にする覚悟というのは、その先全ての選択と決断に他者を巻き込んで自分だけの問題ではなくなることなんだぞってプレッシャーを受け止められる気が一生しない。

女性のためのものだから女性の好きにしなさいとか言われる指輪や結婚式すら、憧れのブランドも会場もないしドレスの形なんてよく違いが分からない。

お色直しのドレスだって、希望はないどころかそもそもドレスが似合うと思ってないから選ぶ手がかりすらない。招待状に飾り付けに挨拶に手紙?面倒だから全部無しじゃだめなの?そもそもそこまで選択の連続とかしんどいので開かないのって無し?今時はありだと思うけどやっぱり「普通はするよ」星人に来襲されるよね?

 

 

初手の「結婚」だけでわりとこれだけ躓く自信がある。無しにする選択肢が通じればいいけど「会社や親の体面のために開かなきゃ、だから君が決めて」とか言われたらもう全部ひっくり返して逃げたくなる気がする。自分だけの決断でそれが許されないなんて私には重すぎるから、やっぱり向いていないんだろう。

純白のドレスも、柔らかな赤子を抱くことも、新築のマイホームも、全部憧れたことどころか自分に関係があって選びとるものだと思えたことがない。本当に本気でない。

だから、結婚できないこと自体に泣くことはきっと一生ないけど「普通に結婚したいと思えるようになりたかった」と泣いたことはある。

 

そういう幸せを具現化したようなものは、画面の向こうとか隣の家とか、壁の向こうの誰かのためのものであって、眺めていることはあっても自分のテリトリー内にやって来ることはないという感覚が消えない。

それでも「世間一般の大人の通過儀礼」として割り切ってやり過ごせないかな、なんとか普通を擬態できないかなと考えてみたところで、書き連ねたように「その先はどうやり過ごすの?」「そんなの失礼じゃない?」の連鎖が止まらない。

 

何かを選ぶことは、何かを捨てることだってことくらいは知っている。

だから、もう何も選ばないから全部いらない。何も選び取らないから何かを選んだことによる責任もいらない。

私は、1日にコップ1杯くらいの幸せで十分だから。誰もが1リットル紙パックを欲しがるわけじゃない。貯水槽になみなみの幸せなんて身に余るからもっと飲めと注がないで。

そうやって生きていけたらいいのに。なんで放っておいてもらえないんだろう。どうして皆と同じような形の幸せを求めてないと説教されるんだろう。

もう何を恨めばいいんだろう。責めればいいんだろう。性的指向がマイノリティなわけでも、出産能力を失っているわけでもないはずなのに結婚して子を残していくことを選べない自分の感情だろうか。責め続けても変わらなかったけど。

そうして泣くのはもう嫌だから、決断しない決断をする覚悟がほしい。

まっすぐ進もうとするほど、捻くれてると言われる僕らは

わざわざ主張することでもないけど、嘘を吐くのも面倒だから。結婚を考えるようないいひとはいないの、と聞かれると、私は結婚したくないんです、と言う。
要らぬ波を立てていることは分かるけど、妙齢の女性なら当たり前に守備範囲だという顔で息をするように話を振られるから、私はご期待に添えかねます。と言いたくて。
そう答えるたび現れるのは、そうだよね今はそんな時代だよねと言う理解を示したような言葉と、ああ面倒な捻くれ女に当たったぞ、という顔。あからさまに勿体ないよと説教を始めるひとの方が、まだ分かりやすい。


何だろうなぁ、この空気。
よくあるわけでもないけど何となく既視感のあるこの圧力に、ふと思い出したのは最後の進路選択だった。

20代も後半の女が結婚したくないと言うことは、進学校の生徒が大学受験をしないと言うことに似ている。



生まれ持って女だったか、自分の意思で進学校に入ったかという違いはあれど、『ほんとは別に義務でもなんでもないのに、圧倒的多数がそれを選ぶから、選ばない人間は義務を放棄した異端者のような扱いを受ける』ところはよく似ているなぁ、と思う。

漠然と「いい将来、安定した未来」を思い描いて、良い大学に入れそうな良い高校に入った子どもが、大学に行く未来と自分を疑わないように。20代半ばに差し掛かった女は結婚するものだと、いろんな人が漠然と思い描いているし疑わないでいる。


もしかしたらその子どもは、たまたま最寄りの進学先がそこで、たまたま成績も釣り合ったから受験して入学しただけかもしれないのに。
その上で、夢への最短ルートを考えたら、資格を取るために大学ではなく専門学校に行くのがベストだと思っているだけかもしれないのに。


自称「捻くれてない、まっすぐに育った」大人は言う。
4年間大学に行った方が色んなことが学べるよ、4年もあれば選択肢も視野も広がるよ。学士の肩書きがあった方が出来ることも増えるよ。
そもそもあなたの学力を活かさないなんて勿体ない。誰でも入れる学校じゃないのに、じゃあ何のために入学したの。実力のある人は相応のところに行くべきだ。

それが本当にまっすぐなんだろうか。歪めて捻ろうとしているのはどちらなんだろうか。そう思う私の物差し自体が、もう歪み切っていると言うんだろうか。



だって、私の人生だって、別に結婚して奥さんになって母になる一本道なんかじゃないはずなのに。
自称「清く正しく真っ直ぐに生きている」友人や大人たちは言う。

結婚した方が自分だけの人生よりもっと豊かになって色んなことが学べるよ、ひとりよりふたり、ふたりよりそれ以上の方がしたいことの選択肢も視野も広がるよ。やっぱり結婚してるって肩書きがあった方が信頼されるし出来ることも増えるよ。

そもそもあなたの見た目やスペックを活かさないなんて勿体ない。誰でも入れる学校や会社じゃないのに、誰もが経験できるわけじゃない成績を残してきたのに、今まで何のために頑張ってきたの。実力のある人は、実力のある人同士で幸せになるべきだし、後世にその血も残すべきだ。

まるで私の人生が、結婚や子どもを産む、それだけのためにここまで続いてきたように。平気でそんなことを言う。



べつに私は、世間の肩書きとか適齢期だなんて知ったこっちゃないのだ。
結婚するくらいなら死ぬとまでは言わないし、もしかしたらこの人とだったら結婚できるかもと思える人も、どこかにはいるのかもしれない。
でも、それは選択肢のひとつであって、義務として当たり前に通らなければならない通過儀礼でもなんでもない。そうじゃなかったっけ。
出来の良かった中学生の頃に社会科で習った国民の義務とは、教育勤労納税だったと思っていたのだけど、知らない間に結婚出産も組み込まれていたのだろうか。


選ばなかったら死んだり捕まったりするものでもないし、そんなに選びたいとも思わないから選ばないね。
ただそんな選択肢を取るだけで、どうして私の修飾語は「捻くれている」や「こじらせている」になるのだろう。
大学受験を選ばない進学校の学生どころか、みんなに人気のおやつを選ばない園児のように、ただ「これ好きじゃないから選ばないよ」と言っているだけなのに。自分の生きたいように、思うように生きているだけなのに。

捻くれてるとかまっすぐとか、だれが決めてるんだろう。
平面では捻くれているように見える線だって、三次元で見たらある一点からはまっすぐ見えるかもしれないのに。誰がそんな定点観測をしてるんだよ。



知らない。わからない。知りたくもない。
結婚を夢みて、結婚を選んで、そうして幸せそうに笑う友達の笑顔は眩しくて尊くて大好きだ。めちゃくちゃ幸せになれって心から願える。だけど、私がそれを選ぶかどうかには、その幸せそうな笑顔は一ミリだって関係ない。私の人生の選択と、友達の人生の選択をごちゃ混ぜになんてしない。

こんな話を笑って受け流せずにこんなことを書いてしまうから、言ってしまうから、たぶん素直じゃないと言われるんだろうと自覚はある。
でもこの場合の素直って、別にまっすぐなわけじゃないよなと思うから。少なくとも私にとってこの言葉を聞き入れることは自分をぐにゃぐにゃに曲げることで、自分をぐにゃぐにゃに曲げてまで、性根がまっすぐだの素直だのと言われたいわけじゃない。


自分は世間で言うところのまっすぐじゃないと、でも自分の意思はちゃんとまっすぐ持ってるよと言える程度には、まっすぐ自分のことを見て考えているので。
世間のものさしに合わせて柔らかくなれない私は、背筋とつま先くらいはちょっとだけ曲げて「服と靴が小さいなぁ」って顔で明日も歩く。

おやすみ、私の夏休み

自分だけで勝手にやっている、お盆休みの密かな恒例行事が、ペルセウス座流星群を見ることだったりする。
今年は午前二時でも踏切でもなかったけど、自分の部屋のベランダで天体観測をした。


星空って目が慣れてくるとどんどん星が見えてくるもので、山の中ではない程度の田舎だと、最初は一等星しか見えなかったのが、10分くらいすると三等星くらいまで見えてきたりする。
その点は街中の空でも同じかなぁ、どうなんだろうと思いながらベランダに出た。


とりあえずは月しか見えない。薄雲に覆われて朧げな、行燈の光みたいな明るさの、半月よりは少し太ったオレンジっぽい月。
残念ながら一等星すらロクに見えない。あれがデネブ、アルタイル、ベガ、すら言えない。
それでも明るい流星は一等星より明るくはっきり見えることもあるから、目を慣らすために夜空を眺め続けた。


流れ星、というより流星群を見るコツは少しだけ知っている。
毎年ニュースにもなるような活発な流星群だと、流れる星の数も多い。しかも放射点と呼ばれる、流星が飛び出してくるとされる場所は一応あっても、わりと空のあちこちを星が飛び交う。それも明るく大きく長いものから小さなものまで多数だ。
だから、放射点をじっと見つめるよりも、空の全体を見ている方が結果的により多くの流れ星を見やすい。見逃しにくいと言った方が正しいだろうか。


ひとまずは目を慣らすために、少し見えた気がした星をじっと見つめる。
どうやら一等星だったようで、一度見つめたらもう見逃すことはなく、街中の薄明るい夜空でも星のちかちかした瞬きが分かって、ちょっとすごいなあなんてにやにやしてしまった。
星の瞬きって確か、本当に星がちかちかしているわけでは当然なくて、空気中のチリとかそんなもので生まれた屈折だと聞くけど。そんなものに阻まれても届く、何億年も昔の光なんだよな、とため息がほうっと出た。


たぶんこれは夏の大三角の一角のどれかなんだろうけど、あいにく他の星がまったく見えないのでアタリすら付けられない。ベガかな。織姫様のベガだといいな。
実はスマートフォンには、空にかざすと星座盤と照らし合わせてくれるアプリなんかも入れているのだけど、今回はかざす度に星座盤の位置がズレていてはっきりしなかった。だから勝手に好きな星だということにする。


相変わらず流れ星はまったく見えない。星自体、トータル10個見えるか見えないかだ。
何キロも先のビルの屋上からの光の点滅と、数本隣の大通りにあるアミューズメント施設のイルミネーションがめちゃくちゃ邪魔だ。というか、意外とすぐ近くのマンションたちの廊下の照明も眩しい。
明度彩度を任意でググッと下げられるスマートフォンのカメラのフィルターみたいに、街中の照明も明るさを調整できたらいいのに。わりと本気で考えて、照明たちに手をかざすけど当然無駄でしかない。


しかし、意外と思ったよりベランダに居られている。
カウンターチェアを持ち出して座っているのも、室外機の上に置いた飲み物が準備されているのもあるけど、意外と蒸し暑くないのだ。
足元には室外機からの生温い風が吹き付けて、室内で稼働させているエアコンの働きを教えている。でも、顔を撫でる夜風はわりとじめじめせず涼しい。
あとは、ちょうどベランダでは夏物の掛け布団を干しているのが、良い感じにテントのような覆い被さられている・包み込まれている感覚を与えてくれている。物干し竿に組んだ腕を乗せるのも、ちょうど良い高さで安心してぼんやりできる。なんだかちょっと秘密基地みたいだな、とわくわくする。


子どもの頃とやっていることは同じなのに、ずいぶん秘密基地はグレードアップしたなあ。
目の前には白黒ボーダーの夏物の掛け布団がはためいている。これは入り口のカーテン。両サイドはベランダの仕切りがプライベート空間を確保してくれていて、後ろのガラス戸を開ければ食べ物飲み物も完備した冷えた部屋が広がっている。

テーブル代わりの室外機の上には、レモネードではないけど甘酸っぱい炭酸飲料。あの頃憧れだった、成城石井で買ったちょっといいサイダー。
星座早見盤代わりに使っていたスマートフォンはさておいて、接続したワイヤレスイヤホンからは若者のすべてが流れている。もうダメでしょう。たぶんこれがエモいってやつだ。去年の観測の時に「夏の深夜」なんてプレイリスト(実際のタイトルはカッコつけて英語だった)を作った自分、よくやった。


やっていることは、夏休みの絵日記に書けるほど大したことではなくて、どちらかといえばめちゃくちゃ地味だ。そもそも目的の流れ星なんて、多数観測するどころか気配すら感じない。
地味だし目的を果たせてないのに、なんだか無性ににやにやできるのはなんでだろう。休日の二度寝より、友達と会って飲んでいる時より、めちゃくちゃ幸せだーって気持ちと穏やかな気持ちが溢れてきてにやにやが止まらないのはなんなんだろう。深夜のベランダでなければ歌い出したいくらいだ。


たぶん、ものすごくささやかなのだけど、いつかの私が願った夢がこの時間でこの場所なのだ。
誰にも怒られずに夜更かしをして、誰にも何も言われずに好きなことをしたい。できればそれが、今の自分が想像もできないような都会の大人になってできたらいい。
そう願っていた気がする私の願いが叶ったのが、このお盆休みの深夜の時間で、この一畳あるかないかの街中のマンションのベランダなのかもしれない。


これってもう、死ぬほど好きな時間だ。もし今私に家族がいて、室内から呼ばれたらきっと邪魔しないでよと泣いて逃げたくなる。その懸念がないのが最高に幸せだと思う。
景色だけは期待に添えていないけど、ベランダの広さも、吹く風の涼しさも湿度も、イヤホンから流れるセンチメンタルな音楽も、片手にしている飲み物も、すべてが静かなこの時間も、何もかもが好きだ。
今の私はひとりで、世間から見たら何も幸せじゃないのかもしれないけど、今この瞬間は胸を張って自慢できるくらい幸せだと言える。


いつもの朝になったら起きて化粧をして着替えて電車に乗らないといけないから、こんなこと毎日はできない。趣味と言うには限定的すぎる。
だけど、例え年に一回だとしても、誰にも取り上げさせたくないし邪魔してほしくない時間だ。
私にとってこの時間は、ガラス戸の中から私を呼ぶ伴侶や我が子がいることよりもずっとずっと大事だ。


子どもの頃とやっていることが同じだなんて笑ってみても、1年ごとに確実に年は取ってしまっていつまでできるかわからない。それでも好きだな。嫌いになることはきっと一生ないな。
お金や時間を注ぎ込んでどこまでも追いかけるような情熱がある趣味ではないけど、毎年忘れられずに気が付いたらやっている。そんなこの行為の方が、私にはよっぽど私を構成する要素として大事なことな気がする。


こんなエモい気持ちも、どこかのベランダから漂いだした主張の激しいタバコの匂いが持って行くから、今日はおしまい。
流れ星は結局見られなかったけれど、思いがけず幸せな気持ちと時間は見つけられたからまあいいか。今日はおやすみ。じゃあね、おやすみ。

きみの夢を見たよ、から始まる呪いのラブレターの供養

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もう1年以上声も聞いていない、昔付き合っていた人を夢に見た。

久しぶりに見てしまった彼の夢は、悲しくもならないくらいにただただ優しくて楽しいだけだった。

 

夢の中の私たちは、付き合いたての高校生みたいに恋人繋ぎして照れ笑いしながら、遊園地をずんずんと歩いていた。

夢見ながら夢だと分かるくらいに夢なのに、彼の手の大きさと厚さと生温さすら感じた気がしてくすぐったかった。でも私が密かにちょっと好きだった、私の少しへこんだ親指の爪を撫でる癖はやっていなかったから、やっぱりこれは夢なんだと思った。

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独りでいたくて、一人ではいたくなくて、痛々しくて

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「一人でいるのは平気だけど、孤独なのは苦手だ」と言うひとがいる。

休日に一人でカフェに行ったり買い物に出たりできるけど、その時の話を誰かと共有したい。一人でいるとしても、その時のことをどこかのSNSにアップして繋がっていたい。そんな感じらしい。

 

私はその逆だ。誰といても、ぽかんと自分だけの思考に逃げ込める孤独な世界にいたい。その孤独さが確保されないのは苦手だ。でも、一人で行動するのはもっと苦手だ。だって怖いから。世の中に馴染みきれていないから、世の中の全てが、漠然と怖い。

自分は世界のルールに馴染めていないような気がする。知らないうちにダサくてみっともないことをしているんじゃないかといつも思っている。いつまで経っても自分はどう足掻いたところでおのぼりさんで、そのくせ見た目だけは都会のOLぶっているからより質が悪いし痛々しい。

たぶん、張りぼてのおのぼりさんよりも、一見地味だけど生粋の都会育ちの子どもの方が、よっぽどスマートに街を泳いでいる。

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唯一とかいらないからちゃんとしたその他大勢にして。

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ズルズルと続いた遠距離恋愛を終わったことにしたその日、意外にも私を包んだのは解放感だった。

転職が決まった時、嬉しいと思うより先に退職を言い出すことに落ち込んだのをふと思い出して、人の予測なんてアテにならないなと笑えた。

 

私が逃げたかったのは、付き合っていた相手その人ではなくて、惰性で続いて来て鎖みたいになってしまった長い時間でもなかった。

「これだけ付き合ったなら、その先にはきっと何かがあるんだろう」という漠然とした期待のような顔をした呪縛だった。

何かあるべきなんだろうと、それを世間では普通と呼ぶんだろうと頭では分かっていたけれど、私はどこかでずっと「覚悟しなきゃ」と思っていた。

 

覚悟ってなんだよ。

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