第二新卒が転職して半年。社員数2桁の中小企業から、4桁の企業へ転職して思うこと。(2)
こちらの記事の続きです。
第二新卒が転職して半年。社員数2桁の中小企業から、4桁の企業へ転職して思うこと。 - 午前1時のレモネード
第二新卒で転職してみて約半年が経ち、前の記事では前職と現職で何が変わったのかをざっくりとしたスペックで比較しました。
こちらの記事では、特に仕事の内容や環境・精神面など、具体的な部分で変わったことをまとめていきます。
第二新卒が転職して半年。社員数2桁の中小企業から、4桁の企業へ転職して思うこと。
お久しぶりです。最後の更新が7月末。半年まるっとブログが放ったらかしになっていました。
どれくらい放置していたかは、残暑の時期には更新するつもりだったからこんなイメージ画像だったことが物語っていますね。
たぶんもう見てくれている方いないので「お久しぶり」も変だけど、そこはまあもういいや。
言い訳はひとまずこのくらいで。
その間に新卒入社2年目の企業を退職、2社目となる転職先に勤務し始めました。一応業界も職種も違うまっさらな状態で、ぺらぺらな第二新卒はおたおたと再スタートしました。
正直、早すぎることに2日目あたりから緊張することなく馴染めて、びっくりするくらい快適でした。人見知りにしてみれば本当に驚き。
馴染みやすかった要因としては、中途入社の受け入れ体制が整っていたことが大きいと思います。規模が大きいぶん中途入社も多いので、第二新卒での転職も珍しくない。このあたりも助かりました。
でも何より、社員のキャラやテンションが自分に近いこと。それから、就いた職種が未経験とはいえ自分のずっとしてみたかった職種であること。
その辺りがとても楽で、なんだか息がしやすくて。学校や部活みたいに「みんな大好き!最高!」とはさすがにならないけど、居心地はいいです。
ただ何かしらアウトプットし続けることが仕事なので、プライベートでは書いてアウトプットすることから遠のいてしまっていたなと。強いて言えばそんなところだけ、少し変わってしまったのかな。
とはいえ、前は「どの会社でもどこかしら合わないところはあるし、どこかしら無理はしないとやってけないでしょ」と思ってました。
でも転職してみて、今のところは「自分に合う会社って探せばあるんだなぁ」と思えています。
そんなわけで、ある程度落ち着いて周りも見えてきたので、第二新卒が中途入社をしてみて感じたことを綴っておこうと思います。
まずはざっくり、分かりやすく数値などの指標でまとめられそうな部分から。
(1)事業所:
地方内に2ヶ所・転勤なし→全都道府県に事業所あり・転勤あり
転勤があるかもって時点で総合職感が増しますね。
既に家を出ていて、身内の危篤でもなければあまり地元に執着もない(むしろよほど僻地でなければ知らないところに行ってみたい)人なのでばっちこいでした。
(2)総社員数:2桁→4桁後半
前職は「ワンフロア1桁〜10名台」でしたが、現職は一気に「支社によりワンフロア300名超」です。同じ部署の人だけで前職の社員を超えてます。
学校のひと学年が全部ワンフロアにいる感じですね。なのでクラスという名の部署が違う人はもうさっぱり知らない人です。
(3)部署数:実質3部署→20部署くらい
前職は「営業部からの異動は実質なし・部以下の課が存在しない」でした。営業部と、役員が兼任している総務部と、私のいた部署だけ。
私のいた部署にはそれほど人は必要ないので、営業に回されたらもう戻れませんでした。
対して現職は「事業所営業所課が無数にある(少なくともひと目では数えられない)・人によっては異動も多数」です。異動して3ヶ月でまた異動になる人もごく稀にながらいるらしい、というかいた。
(4)入居ビル:
高さ20mのグループ会社所有ビル→高さ約200mの合同オフィスビル
ちょっと分かり辛いんですが、前職は「ビル内の一室貸切(学校の教室と同じかやや広いくらい)」で、現職は「ビルのワンフロア貸切(300名は同じフロアに入れる程度の広さ)」です。ほんと分かり辛いな。
ただ、入社初日にオフィスに入った時にまず思ったのは「部屋、広っ…」でした。同じフロアにいるのに、視力的にも物理的にも見えない人がいることが驚きでした。
前職のオフィスは常に見えるところに社長も役員も部長もいて息苦しくて泣き出しそうでした。いつもブラインドが降りていて、薄暗い部屋でした。今のオフィスに来て、ああ明るくて広くて息がしやすいな、と思ったのを覚えています。
(5)社員特徴:
40代以上中心・少人数(2桁前半)→20代〜30代中心(4桁後半)
前職は「20代は片手以下・新卒は毎年は採らない・採っても1人か2人」。
対して現職は「新卒は毎年3桁単位で採用・各部署に1人ずつくらいは同期が存在する」規模です。とにかく若い。お局さんとかいない。社内でも部署によるようで、私の部署は特に若いです。20代後半の課長は当たり前、所長やエリア長でも30代前半。
内勤なこともあって余計に人と会う機会がなく、いつの間にか最近ザ・おじさんな方に接する機会がないなと気づいた時はハッとしました。
人数についてはたぶんですけど、前職の本体企業を受ける総人数と、現職の毎年の新入社員が同じくらいなんじゃないかと。
中途社員でも全国で毎月2桁とか採用しているようなので、本当に狭き門でもないです。こんなに増やしてどうするんだろうと思いますが、営業さんが辞めていくことが多いみたいですね。
とにかく「前の会社の空気感とか常識とか、たぶん何の役にも立たないな」と真っ先に思いました。
うん。そんなわけで、逆に前職と現職の共通点がほぼ見当たらないんですよね。
共通している部分もあるにはありますし、だからこそ2年目(正確には1年3ヶ月目というほぼ新卒に毛が生えた状態)での転職活動でも「自分はコレができます」と言えて、ちょっと専門職っぽい要素のある今の仕事に就けました。その点では前職に就いていてよかったと思っています。
ただ何がどう役立ったか、をあまり具体的に語り始めると一気に前職や現職が絞られそうなので、ここはある程度で割愛します。いつか転職活動中のことを書いたらちょっと触れるかも。
前提として言っておくと、決して「大企業に転職したぞ☆」みたいな自慢がしたいわけじゃないんです。
だって毎年3桁とか採用してるあたり、入社が狭き門とは絶対に言えないじゃないですか。
中途入社も多いので、入りやすい会社だとは思うんです。会社の規模が大きいからって、私は難関を潜り抜けた選ばれし人材ってわけではない。
ただ、仕事をする環境が180度とは言わずとも120度くらいは変わりました。精神状態が一気に安定したので、QOLも間違いなく良くなりました。
あとは自慢したいわけではないと書きましたが、やっぱり知人や親戚なんかに勤務先を聞かれて社名で通じるのはラクだし嬉しいです。何より前職で思っていた「私は社会の何の役に立っているんだろう」に、自分の好きなことで貢献できて、明確な答えを持って働けているのが嬉しいです。
なので、転職して半年。
今思うことは、総括すると「転職してみて良かった、本当に」です。
ここまではざっくりとスペック的に前職と現職を比べてみたんですが、それを踏まえてこのくらい変わっても人は生きていける!とか第二新卒でも転職でこのくらいのキャリアチェンジは叶う(こともある)よ!的な意味を込めて、もう少し具体的な部分も掘り下げてみます。
ただ長くなってしまうので、一旦具体的に変わった点については次の記事に分割します。
ついでに転職活動中にビビって下げていた、前職で本気で病みかけていた頃の闇のような記事も時効と判断して、ビフォーアフターで上げておきます。しれっと。もしお暇があれば「これかな?」と探してみてください。
すぐ隣のパラレルワールドを、忘れない
数週間の有給消化に入って、気付いたことがある。
社会人になってからの私はめっきり「平日の昼間」の世の中のことを忘れていた。
朝出勤して、帰る時間になって気付けば日が暮れているから、この季節は何時まで明るいとか何時から涼しくなるとかそんなことも分からなくなっていた。
そう気付いたつい最近になって他の方のブログでも似たことに触れた記事を読んで、自分だけじゃないんだと安心したけれど、きっちりカレンダー通りの生活をしていると本気で分からなくなるものだ。
子どもの頃、平日の昼間は風邪を引いて学校を休んだ時だけ味わえる特別な時間だった。
田舎の住宅街はひっそりとしていて、外は明るくて鳥なんかも鳴いているから孤独で不安ではないけど、それでも「世界には自分だけ」みたいな不思議な感覚にわくわくしていた。
大学時代もわりと平日の昼間に暇し放題だったはずだけど、あの特別感はもうなかった。
たぶん、同じように暇を持て余して辺りをほっつき歩いていた、同じ大学の学生の存在によって特別感は失われてしまったんだろう。
それから単純に、私の通っていた地方大学の周辺には特別感を感じられるような遊びスポットが存在していなかったのもあるんだろうけど、悲しいのでこれ以上は考えない。
少し大人になって働き出して、外回りをしていた頃は平日昼間の街中を歩き放題になった。
ただ子どもの頃とも大学の頃とも違って都会に出てきたので、平日昼間でも街は人で溢れていて「世界に自分だけ」なんて感じる余地はどこにもなかった。
その特別感が失われたことだけを何となくさみしく思いながらも「平日昼間に、明らかに仕事でなく好きに街を歩いている人は何をしているんだろう」なんて少し羨ましく思っていた。
平日昼間は土日と違ってどこもそれほど混んでいない。仕事後の夜と違ってお店の閉店や電車の時間も気にしなくていい。そんな街を、私も仕事と関係なく気楽に気ままに歩いてみたかった。
そしてこの夏、仕事を辞めることになって昼間にもたっぷり時間ができた。
働いていた頃は「平日の昼間に出歩いていたら自分はどう見えるんだろう」なんてぐるぐると考えていたけれど、いざとなると気にならなかった。
考えてみれば平日が休みという職種の方はたくさんいるし、今の私ならギリギリ大学生か大学院生くらいにも見えるだろう。
そう思って、土日は混みそうだからと敬遠していた諸々の手続きをこの休みの間に済ませてきた。
それでも、平日に働いていた頃の自分が思っていたほど土日との違いはなくて「そういえば今日って平日なんだっけ」とハッとしたことの方が多いくらいだった。
いざ街に出て歩いてみると、平日の昼間でもショッピングモールは学生や主婦や平日休みのサラリーマンで普通に賑わっている。
病院や役所もやっぱりそこそこ混んでいる。
思っていたより、私が「ひっそり静まり返っている」だとか「特別な時間」だと思っていた平日昼間の世界は「普通に賑やか」な世界だった。
平日に働いていた自分からすれば、裏世界のような中身不明のびっくり箱のような世界だったけれど、そんな大層なものではなくて私が働いている間も淡々と世界は動いている。
少なくとも別に、私の知っていた土日だけ賑やかな世界が普通でもなかった。
また平日に働き出したら、平日昼間の世界は私には観測できない世界になる。
何が起きていようとリアルタイムでこの目で見て知ることは叶わなくて、私の知らないちょっとしたパラレルワールドが延々と続く。
どちらにしろ、平日に働いていれば平日昼間の世界を知ることはできない。ずっと休みの生活を送っていれば、平日に世の中を回している側の人々の世界を知ることはできない。
互いが互いにとってのパラレルワールドに近いと思うのだけど、自分の見ていた世界だけが当たり前になる前に、このタイミングでふともう片方の世界を思い出せてよかったなと思う。
もうすぐこの有給消化の日々ともお別れだけれど。単に休めたというより、色々なことを思い出せて気付けたことに意味があったと思う。新しい場所で、またこれから頑張ろう。
大人になることの意味がわかった気がしたのだよ
転職に伴う有給消化のおかげで、このところの私は社会人でありながら夏休みを満喫している。
大学生の頃は2ヶ月くらいあった夏休みだけど、正直なところ遊んだり出掛けたりするお金もなかったので、ただただ時間だけを持て余していた。
「学生の頃は時間があってお金がなく、社会人になればお金があって時間がない」とはよく言うけれど。まさにそうだと、社会人1年目の去年は噛み締めていた。
ただ、今の私は社会人なのに夏休み中。
つまり(学生時代よりは)「お金もあって時間もある」状態で、おそらくこんな機会はもう二度とない。
正直なところ私は昔からお金を使うことに罪悪感と抵抗がありまくり、貯金残高が減ると不安で泣きたくなるので、極力お金は使いたくないタイプではある。
でも学生時代にぼんやりと「時間はあるけどお金がないからできないな」と思っていたことを、「お金がない」というネックを除いて実現するなら今だと思った。
学生時代、それこそ中学生あたりからずっと「いつかしたい」と密かに暖めていたことがあった。
それが「遠足や遠征で大人に連れられて行ったところにひとりで行き、ひとりで好きに歩くこと」だ。つまり言ってしまえばひとり旅。
ただ普通のひとり旅と少し違うポイントは、観光スポットをひとりで巡るのではなく、名所でもなんでもなくてそれでも「自分にとっては思い出の場所」を記憶を元に探して歩くのだ。
ただ私が楽しいだけの、写真を撮ってみてもフォトジェニックでもなんでもない旅。それでも私の中高生時代のガラケーで撮った写真よりは、よっぽど鮮明に映せるはずの風景をもう一度だけ見に行きたかった。
何よりこれは私にとって、ちょっとした供養に近い儀式でもあった。
中高生時代の「いかにも青春な思い出」は、擦り切れそうなくらいに脳内で再生を繰り返すうち、景色ごとどんどん勝手に美化されて色鮮やかになっていた。
最近ではもうはっきり記憶の輪郭を思い出せなくなってきているのに、ただ綺麗で色鮮やかだったという羨ましさだけが残っている。
ふと思い出しては、はっきりしないものに後ろ髪を引かれて、勝手に憧れて焦がれて苦しくなる。もうそんなことを止めたいとここ数年思っていた。
そのためにも思い出の景色を、脳内の記憶ではなくデータとして手元に置いておきたいと思った。あの景色は10代の少女でなく20代になった私でも行ける、ネバーランドでもなんでもない場所だったと自分に言い聞かせる材料がほしいと思った。
お金がかかるとはいっても海外でなく国内旅行だから、10万円〜単位を使うわけではない。ただそれでも1ヶ月分くらいの食費は飛ぶ。
片道の移動時間も3時間超え。歩き回って疲れて日帰りが厳しければホテル代もプラスでかかる。
「社会人の夏休み」中でなかったこのところ1年の私には、時間とお金両方、プラス体力を理由に踏み切れないままの気持ちだった。
だけど今の私には「面倒くさい」以外に踏み切らない理由がない。
休暇の過ごし方を聞いてくる家族には、呆れながら「そんな特に何もないところに何をしに行くの?お金と時間の無駄でしょう?」だの「思い出巡りって、お前の時間は中高生で止まってるの?」などと言われた。
でもこの7、8年暖めすぎて発酵しそうな思いをいい加減どうにかしたくて、構わず電車に乗ってきた。
3時間と少しかけてたどり着いたそこには、やっぱり別にフォトジェニックでもなんでもない、だけど記憶の中と同じ景色があるだけだった。
ただの試合会場(というか施設)があって、もう私とは何の面識もなければ世代も多少違いそうな中高生が、昔の私のように我が物顔で歩いているだけだった。
それを寂しいとも羨ましいとも思わなかった自分にホッとした。ただただ、いつかこの子たちもこの景色を思い出すなら、懐かしく優しくて色鮮やかならいいなと願っただけだった。
私の記憶の中の青春の風景は触れたら消えてく幻でもなんでもなく、今も来られる場所として変わらず在った。そう確かめられただけで満足したし、安心した。
そして、この満足と安心を得られたことが、私が少し大人になった意味なんじゃないかと思った。
何年も惑わされていた「青春の風景」という幻は、その気になればいつでも来られる現実なんだとずっとずっと確かめに来たかった。
だけどずっとずっと持てなかった決意と時間とお金のセットは、大人になったから手に入れられたのだ。
そもそも家族に言われた「お前の時間は止まってるの?」や「過去に囚われず今を生きなさい」は、私にとっては見当違いな指摘だ。なに言ってんだって感じでしかない。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、でそれぞれ世界が完結しているわけじゃない。というかある程度連続性があるのが普通だろう。
今の私の中にも、幼稚園の頃から持っている願いもあれば高校生や大学生になってから夢見ていることもある。それぞれの時代の思いを抱えたまま今も生きている。
抱えたまま捨て切れていないのは、今までの私には時間なりお金なり立場なり何かが足りなくて、その思いを叶える術がなかったからだ。
私が大人になっていく意味は、その「いつかの自分が叶えられなかったことを、叶える術を手に入れていくため」なのだと思った。
書き出してみれば、ものすごく当たり前のことすぎて笑ってしまう。
それでも「今できないことでも、大人になって叶えたり解決したりできるならそれでいいのか」と気付いて少しラクになったし楽しくなった。
もちろんその時にできないと意味がないこともある。遡って過去の後悔を消すこともできない。今できることは今やる。
問題は先送りしないけど、やりたくてもできないことは先送りしてもいい。少なくとも、今すぐ叶わずとも年月が経っても消えない願いならこれでいいんじゃないだろうか。
今の私には、子どもの頃に将来の自分に持っていた、漠然として大それた夢と希望は持てないし応えられない。もう私には夢なんてないと思っていた。
そんな今の私にも、実はまだ託されたままの願いはあったし、これからも叶えられる小さな夢がまだあるかもしれない。
子どもの頃の私は、早く大人になりたかった。小さな田舎町をさっさと出て、都会に住みたかった。
中高生の私は、大人になりたくなかった。もう今のままずっと時間が止まればいいと、きっと何者にもなれない自分は小さなこの街でこのままモラトリアムを過ごせればいいと思っていた。
大学を卒業して社会に出た今も、これ以上大人になりたくないと内心ずっと唱えていた。
でも、今の「大人」レベルじゃ叶えられないままの願いがあるかもしれない。もう少し大人になれれば果たせる夢があるかもしれない。
小さかろうと大きかろうと、大人も夢や希望を捨てずに持っていていいんだ。そう気付けたことが、きっと私がまた一つ大人になった意味なのだ。
新卒入社1年4ヶ月、今日で会社を去ります
先週の夜、直属の上司に転職に伴う退職の意思を伝えた。それから数日。
小さな会社だから、もう風の噂で聞いたという人も、何となく察している人もいる朝。
とうとう朝礼で全体に向けて、転職すること、そして退職すること、明日から有給の消化に入ることを告げた。
結局、歳がすぐ近くの先輩たちには自分から言い出せないままになってしまった。
退職の意思を上司に伝えてから最終出社まで、もう少しあるだろうと思っていた。だからどこかで伝えたいと思っていた。
けれど上層部から唐突に「せっかく残ってるものは使うべきだし、明日で有給消化に入ろうか」とありがたくも戸惑う通達をいただいてしまった。
だから先輩たちからしてみれば、朝礼で突然後輩の退職を聞いて、その後輩はそのまま今日いっぱいで出社しなくなるのだ。
その唐突さを思うとどんな顔をすればいいのか分からず、もう「ごめんなさい」と言うべきなのかも分からず、苦笑いをした後にいつも通りな風に振る舞うことしかできなかった。
直属の上司と総務部関係者以外にも、自分の口から伝えたのはこれが初めてになった。
だから、改めて挨拶まわりをしている中でいただいたいくつもの「なんで先に言ってくれなかったの」の言葉が刺さった。
それは「辞める前に相談して」の意味でもあり「決めたなら公式発表前に教えてよ」の意味でもあったと思う。
いずれにせよ、相談しなかった私を責めるというより、言われなかった頼られなかった自分たちを責めるような言い方が辛かった。
「しんどそうだなって気に掛けてはいたんだよ」と言われる度、私は「知ってました、ご心配お掛けしてすみませんでした、ありがとうございます」と泣きそうに笑うことしかできなかった。
本音としては色々ある。
だって転職が決まるまでは社内の人には誰にも言わない方がいいとか、上司より先に先輩に伝わるのはダメとか聞いていたし。
気の重い秘密の共犯者にしたくなかったとか、変に気を遣われたくなくて普通にしてほしかったとか、勝手な願望もあった。
本当は辞める決断をする前に、苦しさを相談するべきだったのは分かっていた。
だけどそうしなかったのは、最終的には「話してしまったら、仕事は苦しくてもその人たちに後ろ髪を引かれて、どうにか残りたくなるから」だったのだと思う。
仕事そのものは辛くてたまらなかった。何度も私は何をしているんだろう、これが誰の役に立つんだろうかと分からなくなったし、当然結果なんて出せなかった。
だけど、そんな中でも私を責めない優しいままの会社の人たちを、私は本当にみんな好きだったのだ。
話してしまったら、この人たちを裏切るんだと改めて意識してしまう、心苦しくなってしまうに決まっていると自分でも分かっていた。
けれどそんな優しい人たちなので、辞めると発表したその日、週末でもないのにほぼ総出で飲み会を開いてくれてしまった。
そして上司に辞意を伝えた時の上司の対応もそうだったけれど、その飲み会での皆さんの私の扱い方もまた完璧だった。
ほぼ総出で人員が集まった名目は、確かに「あいつが辞めるから最後に飲もう」ではあったけれど、決して過剰に私を主役扱いしなかった。
最初に次はどういうところなのとサラリと聞いただけで、どうして辞めるのとかなんで言わなかったのとか、問い詰めるようなことは一切なく、ただただいつも通り普通にお互いを労う飲み会だった。
それでも帰り際、駅まで歩きながら、直属の上司の更に上の上司がこうこぼしてくれた。
「ねぇ、分かっててね、みんなね、寂しいんだよ」
「でも別にここで終わりじゃないから、繋がりはなくならないから」
ほんとかよって思いながら、そんなこと言ったって私なんてすぐ忘れるでしょなんて内心うそぶいているのに、涙腺に直撃してしんどかった。
私は寂しくなるけど。皆さんはそんなことないと、むしろせいせいすると思っていた。
なのにどうして。どうして経営陣と顧客その他諸々からの無茶振りに、日々余裕もなく慌ただしく駆け回りながらそんなことを言えるんですか。そんなに優しい言葉をくれるんですか。
泣きたくないと思っていた。泣きだすとしゃくりあげてしまってうまく話せなくなるから。
なのに何度も何度も泣きそうになって、ごめんなさいとありがとうを伝えるだけで精いっぱいだった。蛇口が壊れたみたいに、涙腺が緩みっぱなしだった。
本当はきちんと経緯を説明したかった。どうして転職・退職までを考えたのか話したかった。
それでももう涙腺への攻撃と涙声を堪えるのに必死になるしかなくて。泣きそうな声で笑いながら、ありがとうございますって言うことしかできなかった。
転職が決まるまでは「早くここから居なくなりたい、その方が会社はお荷物を放り出せて私は罪悪感から解放されて、お互い幸せになれる」とまで思っていた。
上司に話すまでも「これでもかとこれまで辛かったことをぶちまけてやろう」と思っていた。
けれどいざ公になってみると、そんなことは話そうとも思わなくなった。
むしろ半人前が勝手に思い詰めて勝手に始めて、勝手に決めて勝手に報告したことなのに。
誰もが社会人として最低限の嗜みだとしても、内心思うところはあろうとも建前でも笑って応援してくれて。
その気持ちがありがたいと同時に、そんな人たちとの関係を手放すことがさみしくて寂しくて。
帰り道は、電車の中から泣けた。涙は流さないように必死に耐えたけど、鼻は何度も啜っていたし目からはずっと涙が決壊寸前だった。
電車を降りて、駅を出て、家まで歩く途中。
唐突な最後の一日を頑張った自分にお菓子でも、とコンビニに寄った。それでも気は紛れなかった。
店を出て、コンビニ袋を片手にカサカサと言わせて歩きながら、もう日付も変わって誰も居ないし暗くて分からないからいいやと涙をこぼした。時々嗚咽も出たけれど、それも含めてもういいやと思った。
ただでさえ低い視力な上、涙で潤んでぼやけた視界だ。たくさんの星なんて見えなかったけれど、明るい月だけは綺麗に見えた。
たぶんこの夜に見上げた、滲んだ月のことはきっと忘れないと思った。
半人前のくせに、これだけ幸せな送り出し方をしてもらってしまって。寂しい、嬉しい、ありがたい、寂しい。でも何より、ああ私、頑張らないといけないと思った。
次こそ笑って「大変だけど嫌いじゃないよ、この仕事」と言えるようになりたい。
勝手なエゴだろうけれど、それでも今日送り出してくれた人たちに、いつかの私を見て「よかったね」と思ってもらいたい。
まだ何も始まっていない次の私も、きっと今の私と劇的に変わり映えはしないだろうから、背負わせすぎるのは酷だと思うけれど。ただの逃げ場じゃなく、頑張らせて欲しい場所として選んで入れてもらった次の会社がもうこれからは私の場所になるんだ。
置かれた場所で咲けなかったなら、咲きたいと望んだ新しい場所でこそ。咲いてみせよう。肥料はもらった。頑張らないと。
ダメ営業だった第二新卒が退職を伝えてきた話
転職活動中から、この日のことはしょっちゅう頭によぎっていた。けれど深く考えないようにしていた。
一応、上司に伝えるタイミングとかシチュエーションなんかは、強迫観念に駆られたかのように、腐るほど検索をかけて知識を集めていた。
だけど実際に何を理由として伝えるか、何から話し始めるかはいつまでもまったく具体的にならなかった。
ならなかったけど、今日。
心の準備も場の準備も中途半端なまま、勢いだけで帰りがけに上司に声を掛けてしまった。
狭いオフィスだから、声を掛けた上司のすぐ隣のデスクにも正面にも先輩が居た。それでも「ちょっとお時間いいですか」と言い切った。
ここで切り出さなければ、次の職場に移っている頃に佳境を迎える予定の仕事を引き継いでしまうから。
そうして引き継いでしまって即・再引き継ぎをするくらいなら、土壇場のちゃぶ台返しでもいいから引き継ぎを止めてもらわないといけないと思った。
会議室に入って最初の1分は世間話。そこからはもう、何という言葉から切り出したのか覚えていない。
私が「転職」と「退職」という言葉をはっきり発したときの、上司の顔も覚えていない。たぶん、怖くてちゃんと見ていない。
ああまだ6月のままじゃんなんて、カレンダーなんかを見ていた気がする。
ただ涙混じりで震えそうになる声が、本当に泣き出さないように必死だった。
最初の一言が何だったのかもう分からないけれど、気付いたらつるりと、すらりと「退職させていただきたいと思っています」まで言葉が出てしゃべり終えていた。
伝わってしまった。後には引けなくなった。
その次の瞬間、上司の対応は完璧だった。
初めての退職・転職で、他がどうなのかなんて知らないけど、とにかく完璧だと思った。
『やっぱり』といった呆れと諦め混じりの悟ったような顔もせず、かといって『聞いてないよ』といった鳩が豆鉄砲を食らったような顔もしなかった。
ただただ「そうだったのか」と事実だけを受け止めてくれていた。
突き放すでも引き留めるでもなく、まず「なるほど」と言ってくれた。
会社に未練はない。でもこの時、この上司の部下を辞めることだけでも惜しいと、ただただ心から思った。
本当は、これを機会にとダメ出しや説教をされても仕方がないくらいに私はダメ営業だった。
行動力も発想力もなくて、何より人に何かを買ってもらおうなんて考えたこともないから売り方なんて分からなかった。
そんな私が辞めるのは、お荷物が消えたと喜ばれたり、手間だけ掛けやがってと悪態をつかれたりしても仕方なかった。
だけど上司は、頭に過ぎったであろう全ての負の感情を飲み込んで、ただ「そうか」と言ってくれたのだ。
静かに、凪いでいるとも言えるような穏やかな声と表情で。
そして「君が新卒面接で話してたことは覚えてるよ。詳しいことは分からないけれど、次の会社での仕事は元々君のやりたかったことに近付けそうだね」とまで言ってくれた。
何より「ここしばらく思い詰めてる風だったから、仕事を変えるという形でも解決しそうなら安心したよ」とまで言われて、懐の広さに泣きそうになった。
「勝手な都合でご迷惑をお掛けして申し訳ありません」とただ謝ると「自分の人生でしょう、謝らずに進めばいいんだよ」と言ってくれた。
「自分の人生でしょ」という言葉は、ともすれば突き放した言葉かもしれない。
もう我々という組織と、あなたという個人の人生は交わりませんという風にも取れる。
だけど謝罪と弁解の言葉だけを用意して臨んだ私にとっては、そんなのいいんだよと背中を押してくれたように感じた。
こんな上司に、ただでさえ上層部と若手の板挟みで心労著しく忙しい上司に、さらなる心労と迷惑を掛ける私はクソだと思う。
だけど本当にそう思うなら初めから転職なんかするなという話で。
それでも、留まり続けてもこの人に「こいつをどげんかせんといかん」という心労を掛け続けると思ったからこその転職だった。
それなら確かに、後ろを振り返らずただ前に進むのがせめてもの恩返しというやつだろう。
結局自分で獲ったわけではない、わずかでささやかな仕事でも、残りをきちんとこなしてから去るしかない。
私はもうこの会社を辞める。立ち去る。
優しかった人が冷たくなったり、逆にうまく話せなかった人と仲良くなれたり、たぶん色々あるんだろう。
次の会社で、こんなに良くしてくれる人たちに会えるのかも分からない。
それでも賽をぶん投げたのは私だ。
上手くプレイできるかも分からないけどやらせてくださいと頼んで、別のゲームに移りますって宣言したのは私だ。
もう「進行方向が『前』だ」と決め付けてでも、前を向いて走り出すんだ。
転職先が決まって、今思うこととこれから。
やったよーー!
先日最終面接を受け、内定のお返事をいただいた。今度は内勤職だ。
最終面接までは仕事中もふと面接のことを考えてはそわそわしていたし、転職活動ってとても意識を持っていかれて疲れるしで長かったなぁ。
という気がしていたのだけど、冷静に思い返すと恐ろしく短かった。というか、転職活動はじめましたとか言っていた過去のブログの日付を見てもらえば分かると思う。
細かい日付を書くと企業・エージェントに特定されかねないのでそこは省くけれど、エージェントに登録してから最終面接までがちょうど1ヶ月だった。確か。
さらには登録後の面談でようやく案件の紹介を貰うわけだから、応募からは3週間足らず。ついでに言えば、一次面接から最終面接までが2週間(面接は一応3回以上あった)。
いやはや。
転職活動、スピード感すっごいな!
分かっちゃいたけど新卒での就職活動の、書類応募から一次まで数週間とかいうスケジュール感は狂ってたんだな。
私はこれが転職活動1社目で、1社目にしてあれよあれよと進んでいくので検討していた他案件は保留にしていたから良かったものの、並行して何社も受けていたらそりゃ「時間なくて転職活動大変…在職中なんて余計…」ってなるわとつくづく理解した。
あとは最初の内定が出るまで半年以上掛かった新卒での就職活動はなんだったのかと少し切なくなった。
とはいえまだ現職で退職を言い出せていないので、とりあえず直近の関門はそこになる。
前から時々書いていた気がするけど「転職」とは言っても、次が決まっているかいないかで表現が違うだけで「退職」は一度するわけで。
退職を切り出すのが怖いからと、言い訳して現実から逃げていた自分に向き合わないといけない時が来たんだなぁ。
転職が決まってみて思うこと
内々定を得て面接会場を出て、真っ先に感じたのは意外にも「気の重さ」だった。
あぁこれで、本当に現職を辞めますって言わなきゃいけない。その思いからだった。安堵も喜びも感じたけれど、それよりまず気の滅入りを感じるとは思っていなかった。
あとは、まだプライベートな知人・友人にしか伝えていないけれど、誰かに転職が決まったことを伝える時に掛けてもらえる「おめでとう」は、新卒で就職が決まった時とは少し違うなということだった。
具体的に感じたのは、困惑、羨ましさ、心配、驚き。そんなところだろうか。
特に3年目にも差し掛かっていない第二新卒での退職・転職なので、困惑と心配が大きいような気がした。
羨ましいというのは公務員組、特に教員組からかな。安定しているが故に辞められない、民間への転職は難しい、特に教員だと担任や顧問の責任で余計にーーというところからかなと思う。
とにかく、新卒で内定が出た時とは違って、純粋に「おめでとう!」と言ってもらえることはなかなかないのかな、と感じた。
とはいえ逆の立場で考えたら当然のはずで。
私だって、2年目の夏の時点で同級生や後輩が「退職/転職します!」と言い出したら、間違いなく同じような反応をするだろう。
まずは「あいつどうした?仕事嫌になっちゃったの?」と困惑する。
それから「次は見つかるの?」とか「次も同じようなことにならない?」と心配する。
だからみなさんの反応も、ほんとは分かるはずなんだけど。当事者としては手放しで祝って欲しいななんて、わがままも少し覚えたりする。
たぶん転職なんてこんなものなんだろう。理由がどうあれ自分の都合で一度は「退職する」という迷惑を掛けるのだから、常識的に考えれば褒められたものではないといえばそうだ。
最初に就いた仕事をずっとしている、あるいはしていくつもりの皆様からすれば余計にだと思う。
だから、結婚出産だとか家業を継ぐみたいにほぼ100%の人に納得してもらえる理由でなければ、ほぼ100%祝ってもらえる退職・転職はないのかもしれない。
それでも自分は次の新しい場所で頑張りたいんだと、何もかも振り切って進むしかないんだという覚悟がないなら、ほんとは転職なんかするべきではないのだ、きっと。
私の場合、転職を考えた一番のきっかけはマッハで不調をきたした心身への危機感だった。
だけど決断を後押ししたのは「若さというタイムリミットの存在」が一番大きかった。
最初のうちはとりあえず3年目まで何とか日々をやり過ごして耐えよう、それしかないと思っていた。
けれど「このまま何年も耐えたって、その時間は評価やキャリアになるどころか『結果も出せなければ決断もできないまま、無駄な時間を過ごした』というマイナスが膨らむだけだ」とある日思った。
これ以上「何も結果を出せない時間」や「合わなくて積みたくないキャリア」という負債を増やさないため。それから「本当は他にやりたい仕事がある」なんて現実逃避をしないため。
舵を転換するには、少しでも早い方がいいと心が決まった。
とりあえず3年とか、短期で辞めることでの世間体とか、根性が足りないんじゃないかとか、そんなのは仕事中泣きそうになりながら飽きるくらい考えた。何百回と自問自答した。
そして最終的に、根拠もなく「3年」を信じて、若さって武器さえ腐らせて静かに死んでいくくらいなら、逃げでもなんでもこれでいい。そう決意した。
それから、私は「第二新卒」という肩書きにかなり救われたなと思う。
転職サイトなんかによく載っている「第二新卒が今アツい!」みたいな言葉を丸呑みにしたわけじゃない。
だけど少し前なら、中途にも既卒にもなりきれず「早期離職者」だとか呼ばれていただろうこんな立場にも、「第二新卒」という大義名分があったことはすごく救われた。
そうでなければ、自分は経験もない未熟者だと萎縮して卑屈になって、転職活動なんて上手くいかなかったと思う。あぁ「若さ」だけで武器だしアピールしていいんだ、と思えたのは救いだった。
とはいえ1年半も経たずしての転職なんて、客観的には逃げや甘えに見えるであろうことは分かっている。
でも私はただ逃げたいんじゃない、やっぱりちゃんと社会で生きていたい。だから「退職」じゃなくて「転職」するんだってば。
なんて、退職を切り出す時に上司に言えるか分からないし、言っていいのかも分からない。今になって、仕事内容はともかく社員の方々は好きだったと辛くもなっている。
だけどもう、退職までは全部全部振り切って、ひとりで戦うしかない。
退職を告げた瞬間から実質私は裏切り者で、余所者になるんだと思ってしまうと怖いけど。
元はといえば「これから何年もここで、一日が早く終われと息苦しくなっているくらいなら」と始めた転職活動だ。
このままだと迎える苦しい数年を終わらせるための、苦しい数週間か数ヶ月なら乗り越えられるはずだし、乗り越えないといけない。
これまでは「次の新しい仕事を」と前向きな活動、これからは「今の仕事を辞める」という後ろ向きな活動。使うエネルギーは違うけれど、ひとまず今度は後者をがんばらねば。