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午前1時のレモネード

翌朝の化粧ノリより、夜更かしの楽しさが大事。

ストレスで五感を狂わせて、人のメンタルの壊れやすさを知った話

思い出の整理 真面目な話

先に言ってしまえば、今のわたしはなんとか心身ともに健康だ。

だけどそれでも、大学に入学しひとり暮らしを始めてから、自分でもびっくりするほど体が弱くなった。

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具体的に言うと、中学高校と皆勤賞を取っていたくらい風邪には無縁だったにも関わらず、大学に入ってからは年に3〜4回のペースで熱を出すか体調を崩した。だいたい季節の変わり目ごとに風邪を引いていた計算だ。

そうなると何が辛かったかといえば「ひとり暮らしで体調を崩す心細さ」だった。

 

 

進学先は実家からは電車を乗り継いで4時間の街。心配して見に来てくれる家族はさすがにいない。

そうすると、もしこのまま自分に何かあっても気付いてもらえない。そう考えて、最初は熱を出す度に布団の中でひとり泣いていた。

体調は戻ってもその心細さは後を引いて、もう味わいたくなくて今度は気を付けようと思うと同時に「もしまた体調を崩したらまたあの恐怖と戦うんだ」とか「今度こそ何かあったらどうしよう」と季節の変わり目ごとに常に考えてはナーバスになっていた。

 

そんな面倒な生き物に成長してしまったくせに、何を考えたかわたしは体育会系の部活に入り週3でアルバイトを続け、教職課程を取りながら学科で最も厳しい部類のゼミに入ってしまっていた。

残念ながらなまじ今まで優等生かつ体が丈夫だったのと体育会系思考が相まって、何につけても厳しい方を選んで頑張ることが当たり前になってしまっていたのだ。

 

それに限界が来て、ストレスで五感が狂ったのは大学3年の春だった。

結論から言えば狂ったのは聴覚だった。おそらくストレス性の突発性難聴突発性難聴は「ある音域が聞こえにくくなる」ことがよくあるそうで、わたしは低音が聞こえにくくなるタイプだった。それと併発して、大きい音がダメになった。

 

聴覚が狂ったきっかけ

一番のきっかけは部活動だったと思う。春先の、1年で最も大きな大会の直前だった。

ちょうど1年前のその春の大会を終えてから、わたしは部活にほとんど行けなくなっていた。祖父が倒れて寝たきりになった影響で家計が悪化し、学費免除を受けなければならなくなったからだった。

厳しいことに定評のあるゼミの担当教授から高評価を貰うには、部活に行かずに課題や授業の準備に追われてもやっとだった。これも相当なストレスだったけれど、勉強は学生の本分だから仕方ないとまだある程度割り切れていた。

 

それなのに部活を辞めなかったのは、後輩が入ってきたことと、大学まで部活を続けてきて中高大と常に辞めていく仲間を見送ってきただけに、自分が置いていく立場になりたくなかったからだった。基本的には個人競技だったので、チームメイトへの迷惑も(ないとは言えないけれど)それほど大きくもないというのもあった。

とはいえサークルではないので、個人競技だろうとろくに活動も出ず練習も結果も見えてこない部員を放ってはおけない。

また同じように家庭の事情で部活に出られない人もいたけれど、ダイレクトに両親のどちらかに不幸があったというのがほとんどで、わたしはまだ生易しい方だった。

 

一番近しい同期のマネージャーと先輩にだけは事情を話していたけれど、部活への参加率が落ちた分、他の人には弁解する機会もなかった。第一こんなことをわざわざ吹聴したいわけでも同情されたいわけでもなかった。

それでも辞めはせず、のこのこと全員参加の大会だけは顔を出した。反感を買っていないわけはなく、全国大会にも出場するような同期と先輩には、何度もどうしたいのかはっきりしろと言われた。

わたしにも分からないとは言えなかった。ともすればただのセンチメンタルでしかない部に残る理由を、全うにスポーツマンをしている彼らに理解してもらえるとも思わなかった。

 

同じパートの同性の選手はおらず、練習に参加できるのは遅い時間にあるゼミか教職課程の授業の後だったので、いつもひとりで練習をしていた。

大勢で賑やかに練習している他のパートの掛け声やマネージャーさんたちの笑い声を聞いて、どうしようもなく自分はひとりだと思った。

そんな声を聞きながら、外の日が落ちて暗くなった練習場の隅で、誰にも見つからないように座り込んでひっそりと泣いたこともあった。

 

それでも春になれば大会が始まる。結果なんて出るわけがないのは分かりきっている。

1年前までの結果を出せていた自分と今の自分との差が、そんな自分への部員の不満が明るみになるのが、どんどん怖くなった。前哨戦に体調を崩して出られなかったことも拍車をかけた。

それでも時期が時期なので、さすがに部活に顔を出さないわけにはいかない。そうしていたある日、わたしは練習場で突然自分の異変に気が付いた。

 

突然に気付けた異変

同じ場所で練習をしている男子部員や男子高校生たちの雑談が聞き取れない。正確に言えば一部しか聞こえなくて、人の話し言葉ではなく雑音にしか聞こえない。

元々雑談なんてざわざわとしか聞こえないものではあるけれど、「明らかに日本語に聞こえない未知の言語のようなざわめき」が見知った場所で見知った人たちから聞こえると言えば気持ち悪さが伝わるだろうか。

大きくて高い音の出るブザーの音と、女子高校生たちの笑い声は耳に刺さって頭に響いた。

若い人と活力に溢れた賑やかな練習場が、ある日突然未知の言語と頭に響く不快音で溢れた場所になった。

 

ひとりで練習していたことがここで幸いして、すぐにわたしはロードワークに出掛けた。ものすごく率直に言ってしまえば、外に逃げ出した。

住宅街の中にぽつんとある小さくて静かな公園を見つけて、ブランコに座り込んで10分くらいひとりで泣いた。とうとう自分は考えすぎで頭がおかしくなってしまったのかと恐怖で泣けた。

体調を崩すのは、心細いけれどまだ対処法も分かるし仕組みも理解ができる。けれど五感がおかしくなるのは、対処法も仕組みも検討がつかなくてとてつもない恐怖だった。今まで自分が感じていた世界の一部が崩れるのだ。ただただ不安で怖くて泣き続けた。

 

とにかく「聞こえる音がおかしい」ことだけは分かったので、不安をどうにかしたくて次の日に耳鼻科へ出掛けた。訳も分からないまま症状を話し、とりあえず聴覚検査を受けることになった。

「右耳の低い音域だけが他の音に比べて10dBほど聴力が落ちている、おそらく突発性の難聴」と告げられた。

その時はそれがどれほどの異常なのかは分からなかった。その後調べた限りでは、異常ではあるけれど軽度な方だったはずだ。

それでも確かに左右の耳ごと・音域ごとの聴力グラフは一部だけが凹んでいるのを見て、自分の感じた異常が勝手な思い込みではなくきちんと数値に出る異常だったことにとても安堵した。

 

原因については「原因がはっきり分からないのが突発性難聴の定義なので、はっきりとは言えないけれど」といくつか考えられているものを教えてくれた。 ここ最近の生活を振り返り、ほぼ確実に「ストレス」だろうなと思った。

症状や病名が分かれば話や診断はしやすいものだった。聴力が落ちているはずなのに、大きな音はとてもうるさく聞こえて耳や頭に刺さるような感覚があると訴えたら、補充現象あるいはリクルートメント現象といって、感音性の難聴によくみられる症状なのだと教えてくれた。wiki先生にも載っていたのでなるほどと安心できた。

聴覚補充現象 - Wikipedia

 

ひとまず血流を良くする薬を貰い、気を付けることは「安静にして静かな場所で過ごすこと」と言われた。練習場は基本的に賑やかで、時折笛やブザーなんかの音がするしで明らかに静かな場所ではなかった。

お言葉に甘えて体調不良で部活は休み、ゴールデンウィークだったこともあり静かな実家へ帰省した。

それでも駅で電車に乗るときに、破裂音にも似た発車ベルが何度も耳に刺さって涙目になったのはよく覚えている。なんとか実家へ戻り、運動もせずほとんど外にも出ず、部活のこともゼミのことも考えずにぼうっとする1週間を過ごした。

 

聴覚が狂った、そのあと

突発性難聴治療期間は原因不明なだけあってはっきりしない。数週間単位の人もいれば数ヶ月単位の人もいると言われたので、とりあえず1週間はそうして様子を見た。

また予後はだいたい「1/3は完治、1/3は緩和するけど軽症が残り、1/3は改善しない」と言われるらしい。自分はそれほど重度ではないようだったので、最悪もう緩和までの2/3に入れればいいとだけ思っていた。

幸いシェルターのような実家で思考が和らいでいたこともあって、「元に戻れなかったらどうしよう」とまた自分を追い詰めるのはやめようと思えていた。男性の声が聞こえにくくなっていたから、仲のいい男友達たちと話がし辛くなるのは嫌だなと願うくらいだった。

 

その後は結論から言えば、わたしの聴力は3週間でほとんど元に戻った。たぶん、かなり回復も早く予後もよかった部類だ。家を出ていたことと時間の自由の利く学生の身だったこともあって、ストレスを丸ごと下宿先に置き逃げして、実家に帰って環境を変えられたこともよかったのだと思う。

結局、発症原因と思われるストレスの、その原因だった大会は体調の問題で出られなかった。それでも「自分の体をボロボロにしてまで無理するようなことじゃなかった、これ以上何か起きなくてよかった」と割り切れるようになっていた。

 

ストレスで五感が狂って分かったこと

良くも悪くも、わたしは「人間はストレスで簡単に不調を起こせる」と身を以て学んでしまった。ただ体調を崩すだけでなく、五感すら不調を起こせるのだと。

良かったことといえば、引き返せなくなる前に不調の原因から逃げ出すことの大切さを理解したことだろう。その後も自分が追い詰められていて「またああなるかもしれない」と気付いたらブレーキを掛けられるようになった。

けれど悪く言えば、今までなら頑張れたこともすぐに「また崩れるかもしれない」恐怖でアクセルを踏み込めなくなった。慎重になった分、動きはものすごく悪くなったのだ。

 

それでも、いきなりアクセルを踏み込みすぎて戻れなくなってしまった、精神を壊してしまった人の気持ちや状況はほんの少しだけ分かるようになった。

それまでは精神を病む人に対してまさしくテンプレートに「気の持ちよう」だと思っていた。

だけど、ストレスやプレッシャーでアクセルを踏まされ続けて事故を起こしてしまった人たちが「事故を起こす前の運転の仕方を思い出そう、大丈夫戻れるよ」なんて言われる苦しさ、壊れた精神を回復させる難しさを想像できるようになった。

 

自分ではおかしな運転をしていなかったつもりだったのに事故を起こしてしまったのだ。そもそももう「運転なんてしたくない」と思うのが普通だろう。

それなのに事故を起こしたこともない人たちに「大丈夫」「気のせい」「頑張れ」なんて言われても何の救いにもならないだろう。ヒヤッとした程度のわたしなんかでも同じく何の救いにもならないはずだ。

 

一度経験してしまったら、事故を起こしたことのなかった、精神を壊したことのなかった時の自分に完璧に戻るのは本当に相当難しい。戻ったように見えたとしてもそれは上書き保存でしかなくて、必ずどこかに跡は残り続けるのだろう。

そしてその事故は、気持ちが弱いなんて関係なく、条件が揃ってしまえばわりと簡単に誰にでも起きる。「自分は大丈夫」「あの人に限って」なんてことはない。それはたまたま「今まで無縁そうに見えているだけ」だ。

 

それくらい簡単に、人間のメンタルはわりと壊れる。いつ何がきっかけになって壊れるかはたぶんその人にも壊れるまで分からない。

わたしのように、それを意識しすぎて壊れるのが怖いと何もできなくなってしまうのはいかがなものかと思う。

けれど、それでも少しくらいは他人事だとか本人の問題だと思われがちな認識が変わってもいいと思った。

 

実際問題「メンタルが壊れたように振舞って人の気を引こうとする」人間もごまんといて僻遠するし、そうではない人に対しても本当に素直に言えば「自分のことばっかり」とか「悲劇の主人公かよ」と思うこともある。

それでも、「今の自分は他の誰よりも辛い、しんどい」と少しも思ったことのない人はそういないんじゃないだろうか。少なくともわたしは皆勤賞だった時代でさえしょっちゅう思っていた。その時はめちゃくちゃ自分を嫌いになっていた。

 

もし、たまたま条件が揃ってそこから抜け出せなくなってしまったら。

自分にはそんな「もし」は起こりえないだろうか?でもその「もし」が実際に起こってしまったのが、いわゆる精神を病んでしまった人たちなのだ。

それは「たまたま悪条件が重なって事故に巻き込まれた」人とそう変わらないこともたぶん多いと思う。だからこそ「どうしてあの人が」「あの子に限って」がよく言われるのだろう。

 

この文章だって読む人が読めば「メンヘラ気味のOLの同情を要求する声明」なのかもしれない。でももう、それでもいい。

だけど精神科にも行ってなかろうと「精神の弱さは気の持ちようだけじゃない、少しだけどわたしは知ってる」と言える人間だっていることを、いま病んでいる人にも、そんな人たちを何者なのかと思っている人にも少しでも届けばいいと思う。

 

体だけじゃなく、心だって病気になったら生きていくことは苦しい。

命だけじゃなく、心だって死んだら戻ってこない。

目に見えるか見えないかだけで、その苦しみを別物と扱うことはしたくない、しちゃいけないと思う。

それがわたしがストレスで五感が狂って少しだけ分かったことで、忘れたくないと思ったことだ。