午前1時のレモネード

翌朝の化粧ノリより、夜更かしの楽しさが大事。

若手社会人は「感情」が過労気味なのかも。

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仕事がしんどい。若手がそうこぼした時の世間の反応は言われなくても分かってる、よく分かってる知ってる。

そう。わたしのコミュニケーション能力とやる気と根気と体力と知識と発想力、要は社会人として全てが足りてません。時間とPCとの戦いは好きだけど、対人と数字との格闘には向いてないんですスミマセン。

 

こんなわたしでも社会に出るまでは「自分は仕事命の働きマンになれるタイプだ」と思っていた。

いざ就職してみると全然そんなことはなくて、実際は家に帰ると1ミリも仕事のことは考えられなかった。わたしはただのおうち大好き人間で、仕事での自己成長とかわりとどうでもよくて、出社しなきゃお給料が出ないし暮らせないから勤続しているだけだ。

 

 

肉体労働でもないし、頭脳労働と言うほどのことはしてない。それなのになんでこんなに辛いとか嫌だと思うんだろうと不思議だったけど、たぶんこういうことなんだと思った。

接客業やサービス業、営業のような対人職種では、イヤな相手でも仕事相手であれば時に感情を「抑え込んで」「作る」必要がある。そうして「感情をコントロールする」必要があるのが「感情労働だ。

 

一方、最近まで学生だった若手は、今まではわりと「自分のやりたいことを考えて進路を選ぶ」といった、感情に素直な生き方をしてきていると思う。

だから、仕事にもそれを持ち込んでしまう。まだ感情を上手く切り分けられない。今までの生き方で培ってきた成功体験やプライドがそのまま通用すると思っちゃうし、縋るものがそれしかないから「邪魔かも」と思っても捨てられない。そのせめぎ合いで感情が磨り減りまくって過労気味、なんじゃないだろうか。

 

 

それでも自分自身は、この感情労働が必要な業界自体を選んだこと自体は間違いじゃなかった、と思う。

1年前の新卒時、東京で同業の同期たちと受けた研修はワクワクしっぱなしだった。賢くて自主性があってキラキラした同業同期たちを見て、この人たちと並べるところにいることが嬉しくて誇らしくて、これからが楽しみだった。

だけど自分の会社に戻った途端、なんか違うぞ?と気付き出した。わたしがそこに行けたのは、所詮親会社がそういう会社だっただけで、弊社自体は人の少なくて先行き不透明な中小企業だ。すべてはグループ会社の虎の威と、春の東京の空気が見せた幻だった。

 

 

それじゃあ何を間違えたの、とわたしは自問自答する。

「東京、でなくても大都市圏に行っていたら何か変わっていた?」

答えはノーだ。大学時代にこれでもかと学んだ。わたしは家族も友人も知り合いも近くにいない、セーフティネットのない場所でひとりではすぐに心折れる(今だって近付いただけで地元在住ではないので孤独感でほぼ心折れてる)。

「時間とPCとの格闘が好きなら事務職にすればよかった?」

それもたぶん無理だ。金銭的に生活が続けていけない。奨学金という名の借金を返せない。それにそこは派遣の方々の領域だ。

 

「じゃあ実家に戻って公務員は?」

これはもう完全にわたしの問題だけど、やっぱりノーだ。片方の親が公務員コンプレックスで公務員を羨んでばかりだったので、思う壺だと思って絶対に選びたくなかった。

あとは片方の親の家計が世間からは嫌われかねないこと(政治か宗教か野球か、みたいなやつだ)に絡んでいるので、物理的に地元から距離を置いて逃げ出したかった。

それに大学時代の心が折れた経験から、無理だと思ったら逃げ出せるくらいの仕事でいいやと思っていたので、あまり大企業で責任が重いような仕事もいやだし無理だと思っていた。

 

なんてわがままを、何のコネもないくせに言っていたらそりゃ仕事なんて限られてくる。しかも一人暮らし、地方住み、奨学金という借金持ち。

だけど今の仕事、というか職種に、どうしても向いていると思えなくてもうむり。そのくせに今の自分を客観的に見て分析するクセが止められなくてもうダメ。

今の自分は上を見たらキリがなくて、でも下を見てもキリがない、決して本当に本当の底辺ではないのは頭では分かっている。今までは少し選ばれたマイノリティのつもりでいたけれど、所詮はマジョリティだったことを完全に自覚しただけだ。

 

今の自分はそんなある意味安心できる立場で、上だけを見て下位の被害者ぶって泣き言を言っているだけだなー。と、これまた客観的にはものすごくよく分かっている。自分が今まで嫌ってきた人の行動パターンなのだから分かる。

「頭で」「客観的に」は分かっているのに気持ちはついてこなくて、ああこれじゃ完全に理論じゃなく感情でしゃべる「ザ・めんどくさい女」になっているじゃないかと、また頭では理解してしまって凹む。

 

そうやって毎日、冷静で客観的な頭の中の自分に対する悪魔と、情熱的で感情的な心の中の自分に対する天使みたいな奴らがせめぎ合っている感覚だ。それに振り回され続けるのにはもう疲れた。

って、仕事のことで悩むこれも「感情労働」なのかな。

 

まだ若いから、頭脳と肉体的な疲労ならだいたい寝てどうにかしちゃうだろう。だけど感情の疲労を取るのは難しい。好きなことを思い切りしてみたって、罪悪感を覚えることもある。誰かに頼ってみたって、今度はその人の感情を疲れさせていないか心配になる。

誰だって自分がいちばん可愛い。だけど本気で自分を最優先に可愛がれる人はそんなにいなくて、ほとんど誰もが誰かのために感情をコントロールしている。

そんな気遣いと思いやりの国民性は美しいけど、結局互いが疲れてそれぞれが笑えないなら、何のための心配りだろう。心を砕いて接するとは言っても、本当に砕けたら意味がない。

 

 

感情を上手く隠せるのが大人なんて言うけど、大人だからこそ「大人も感情のコントロールは難しい」と知っているはずだし、たまには「病み期でつらいっす」なんて素直にぽろりと零せるような職場が増えればいいのになぁ。

なんて今は夢物語だから、また明日も「おしごといやだ」の気持ちをコントロールして出勤するみなさん。感情を思い切り休められる場所を探しながら、とりあえず今は目の前の日々を。がんばりましょう。