午前1時のレモネード

翌朝の化粧ノリより、夜更かしの楽しさが大事。

確かに残るどころか居座って消えないサウダージ。

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他言語では翻訳できない言葉、というやつが好きだ。他の言語や文化圏では、該当する概念・言葉が存在していない異国の言葉。日本語だと「木漏れ日」なんかがそうらしい。

それに出会うことは、日本語でもたまにある「身に覚えのある感情だけど、言語化ができてなかった!」「こんな回路で感じてたんだ、あの感情」とすとんと腑に落ちる瞬間に似ている。

 

ここ最近しっくり来ているのが「サウダージ」。元はポルトガルの言葉だそう。

サウダージ - Wikipedia

どうしても某アーティストの名失恋ソングのイメージが出てきがちだけど、実際は全然失恋に限って使うような言葉ではなく。

 温かい家庭や両親に守られ、無邪気に楽しい日々を過ごせた過去の自分への郷愁や、大人に成長した事でもう得られない懐かしい感情を意味する言葉と言われる。だが、それ以外にも、追い求めても叶わぬもの、いわゆる『憧れ』といったニュアンスも含んでおり、簡単に説明することはできない。

 

故郷を出てから、5年以上10年未満。あの頃の自分からしたらバカみたいに長いけれど、今の私にはあっという間だったような時間。

たぶん私はずっと、この想いに囚われ続けている。

 

人(というか身内)に言わせれば「過去の栄光に縋っている」ように見えるらしいけど、私にとってはそうじゃない。

確かに自分の中で光り続けているものではあるけど、それは眩い光というよりは、葉の隙間からこぼれる光や蓄光した石がやわらかく光るような、淡くて優しい光だ。

もう一度「自分が輝きたい」んじゃなくて、もう一度あの優しい光の中で「永遠に無邪気に楽しく過ごしていられるんじゃないか」と思い込めていた時代に戻りたい。

この時間は絶対にいつか終わると分かっているけれど、自分の青春はまだまだ長いと矛盾したことを思っていられたあの感情が懐かしい。

 

ずっとずっと、10年前のさらに10年前くらいから、早く高校生になりたかった。

自分の知る漫画や小説の主人公は大抵高校生で、だから人生のピークは高校生なんだと思い込んでそう設定してしまっていた。

人生のピークで何不自由ない高校生活を送るために、校則がゆるくてその制服を着ていればそれなりに胸を張って歩ける学校に入ることを最大目標にした。

 

その先は、きっと何者にもなれないのが分かっていたから正直どうでもよかった。

地方ですら裕福な家と一般市民で学校の公私の棲み分けが始まる中学に上がった時点で、その他大勢側だったわたしは、いつか社会の歯車だとかモブCだとか、有象無象になるのはもう分かっていた。

だけどそうなる前に、狭い学校の世界の中だけでも、学園物小説の一章分くらいだけでもいいから主人公になりたかった。主役やキーマンにはなれないけど、30ページくらいなら語り部になれるくらいの立ち位置。

その3年間がたぶんわたしが追い求めてすぐには叶わなかったもので、叶ってからも幸せすぎたから追い求めてしまう幻で憧れだ。

そしてあの頃の気持ちや感覚をどんなに焦がれて憧れても、少しずつ忘れて失くしていって、だからさらに懐かしく思うこの気持ちも異国では名前があるんだろう。

未練なんて重たくて可愛げのない名前ではなくて。

 

わたしにとっての「サウダージ」は、ビー玉に閉じ込めてしまって、キラキラ透かして見ることしかできない綺麗すぎて切ないくらいの思い出だ。

すぐそこに見えているから取り出して触れたいけど、そうしたらビー玉ごと割ってしまってもう取り戻せない。

今でもどうしようもなく愛しいのに、もう二度と触れない。それは死んでしまった大好きな人に少し似ていて、だけどこっちは死ぬほどよく似た別人になってしまった人たちが生き続けているから、逆に割り切れなくてタチが悪い。

あなたも覚えていますかなんて、聞いてみたくなる。戻れなくても共有したくて話し込んで、ふと現実に戻った時に郷愁としか言えない感情に襲われる。まだそんなオプションがつくほど過去にしたくないのに。

 

割り切るのが下手くそすぎる自覚はある。郷愁に囚われすぎているんだとは思っている。でもどうしても捨てたくない。これを捨てたら、わたしは本当の抜け殻になってしまう。

これしか持っていないんじゃなくて、それがわたしの核だから。変わりたくないけど、変えたくないけど、時間がそんなことお構いなしにわたしや周囲の形を変えていくのに抗えない。

たぶんこの気持ちにはもう出会えないから、いつか来る「その日までサヨナラ」と潔く手放してもあげられない。だから、許してね。