午前1時のレモネード

翌朝の化粧ノリより、夜更かしの楽しさが大事。

生地と生家を愛するように、家族を愛せればよかった

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実家を出てもうすぐ7年、懺悔のように願っていることがある。

家族のことを、家族だという事実だけで愛せればよかった。愛せる人になりたかった。

高校を卒業して大学に進学する18の春まで、生まれ育った街は好きだ。そこで通った学校も、出会った友人や先輩後輩先生方も、過ごした時間も好きだ。

自分の家も部屋も、通学路も嫌いじゃなかった。ただただ、あの家のリビングが苦手だった。

私は自分を「団欒」の中に置くことが、生来下手くそで苦手なのだと思う。

だって、そこは無条件に幸せであたたかい場所なのだと、そう感じるべき場所だと刷り込まれるのが息苦しかった。

「世間一般」の常識はもちろん、信仰にも似てそう信じて疑わずにいる母の存在が重かった。

別に我が家には虐待もDVもネグレクトもない。ちょっと情緒不安定で自分で自分の道を歩けず他者に依存気味で、30も年下の子どもと本気でヒステリックに張り合う親がいただけだ。

 

それでも、両親がいて祖父母がいて、実家というものも地元というものもあって。

学校に行くのが苦でもなく、友達がいないわけでも極端に勉強や運動ができないわけでもなく、むしろそこそこできたし、進学もさせてもらえた。

だからこんな風に思うこと自体が、どこかの誰かには必ず贅沢なのだと頭では死ぬほどよく分かっている。

それでも家庭を疎ましいと思うことを止められない自分の思考回路が何よりしんどかった。

 

「家族」とは大まかに言ったけれど、私の喉にいつも引っかかるのは母のことだ。自分がいつか家庭を築くなら収まるはずの、母というポジションの人。

たとえば生家で暮らしていた頃の、毎日の食卓。栄養を考えたあたたかいご飯は、確かに美味しかった。

美味しかったけれど、私は別に出来立てアツアツでなくても普通においしくいただけるし、正直出来合いの惣菜や店屋物でも変わらず美味しいと思う程度の舌だ。

 

家族全員が食卓に揃うまで、隣家に聞こえるような金切り声で呼び出す必要はなかった。

家族はあくまで同じ屋根の下に暮らす個人であって、勉強なり趣味しかりそれぞれの時間を過ごす自由もある。

食卓を囲んでの団欒はそれを無理に中断するものではなかったと、私は思う。

 

確かに炊事も洗濯もほとんど任せ切りではあったけど、滞りなく家事が進んでいないのは許せないと、結局手伝いの予定さえ横から掻っ攫っていくのも母だった。

きっと泳ぎを止めると死んでしまう魚のように、何かしていないと落ち着かなくて「私は今これをやってあげている」と言えるものがないとダメだったのだと思う。

 

こうして家を出た今でさえ、求めている話と論点が壊滅的に一致しない人生のアドバイス(のつもりらしき)長文LINEを不定期に送りつけては「読んだのか」と電話が繋がるまで着信を鳴らす。

本人がアドバイスのつもりで送る長文LINEは、その実「最近の私はこんなに一生懸命頑張っています」レポートでしかない。

電話で適当に話を聞いているうちにいつしか「こんなに頑張っているのに誰も私に感謝しない」という愚痴に変わる。

繰り返すけれど、30も年下の子どもにしかこのひとはマウンティングができないのかと、なぜその対象に無条件で選ばれなければならないのかと、こっちが軽く死にたくなる。

どうしてこの人は自分で自分の機嫌を取れないんだろう、どうして感謝しろ、やってあげたぞと言われて素直に機嫌を取らないといけないのだろう。せめて、娘と母の立場が逆ならまだしも。

 

 

客観的に見るとこれも、思い上がりも甚だしい親不孝だと言われるのだろうと頭では分かっている。

18まで居なくなることなく肉親が傍に居ただけでも、人によっては喉から手が出るほど欲しい立場だったことも知っている。

 

知っているけれど、その上でもどうしても。

もう今の私のことなんて数ヶ月に1回しか見ないのに、毎日会っていた時でさえ私の思考回路なんてなにひとつ読み当てられていなかったのに。

いつまでも分かった風に説教をされるのは耐えられない。いつまでも所有物扱いされるのは理解できない。

どうして18年傍にいた時でさえ理解できていなかった娘の思考回路が、心情が、離れた今でも分かり続けていると思えているんだろう。

たぶん「理解できていなかった」ことを理解できていなかったんだろうと、知ってはいるのだけど。

 

私はあなたの感情にシンクロするために生み出されたクローンではない。

確かにあなたの胎を借りてこの世にやって来たし、それは間違いなく感謝しているけれど、それでも私はあなたから生まれた別の生き物だ。

その証拠に、私にできてあなたに出来ないことも、その逆も山ほどある。

 

 

何度も何度も何度も繰り返し伝えてきたけれど、私の言葉は届かない。

私の言葉は「賢ぶって偉そうで、世間知らずな頭でっかちの理想論」でしかないのだそうだ。

5秒も喋れば、もう聞いていたくないと遮られて「そんな親を親とも思わない態度だからお前の周りには人が居らず結婚もできないのだ」という話にすり替えられて「議論」は終結する。

 

そこからは、母の持論の独壇場だ。

私が実家に帰るのは、今も私の周りに居てくれる地元の友人達に会うためだし、結婚をする気はないと学生時代から伝えているのだけど、そんな事実は改変される。

価値観がどうしても合わない、言葉で分かり合えない、そもそも自分が持っている価値観以外を受け入れる気がない。

そんな人間は確かにいるのだと、私は他でもない肉親に教わった。

 

母は結婚してからもずっと、母である祖母の傍に居て、それが幸せだったかもしれないけれど。その祖母のことを、私は大好きだったけれど。

今になって思い返せば、祖母に対する母は、いつまでも雛鳥のようで娘のようで、率直に言ってしまえば傀儡のようだった。

あの頃の私は、祖母離れしていない母に対してはどこか「甘えてはいけない」と思っていた。下のきょうだいで手一杯な母には頼れない、そう思っていたからこそ私は祖母に懐いていた気がするのだ。

 

たぶん母は、祖母をなぞるように真似る生き方しか描いたことがない。

だから、祖母の信仰するものを信仰し、娘たる自分が当たり前にそうしたように自分の娘にもそれを信仰させた。

そして今、娘たる自分は何も疑わず素直に母には従ったのに、自分の娘たちがそうしないことが心底理解できずにいる。母たる祖母に従ったはずのあなたが、とても幸せには見えないからそうしないのだとは、聞き入れないし考えもしないでいる。

 

 

私の声は、言葉は、母には言の葉としては届かない。

邪宗の念仏と同じように耳障りな、自分を肯定しない雑音にしか聞こえない、のだと思う。

無力だなと思うし、出来れば物理的距離を取るなんて生温い方法ではなく本気で逃げてしまいたい。

私が最後の一本の糸を掴んだまま逃げずにいるのは、母への情やもちろん信仰ではなく、祖母の供養のためだけだけど、出来るなら振り切ってしまいたい。それをしないのは得られる利益より消費する体力が大きすぎるから、それだけだ。

 

幼い頃、「女が子を産み育てるのは、この信仰を自分の子に伝えられる素晴らしいことだ」などと聞かされた娘が、そんな循環を断ち切るために私は子など産まないと決めたなど、夢にも思わない。

あなたを見ていてこうはなりたくないと思ったけれど、あなたを反面教師にした私がいい母になれるかといえばきっとそんなこともなくて。

過干渉を嫌った私は放任主義で寂しい思いをさせる親になるんだろうな、となんとなく思う。

 

 

放任主義気味の父は、仕事柄当たり前だけれど母よりは家の外に目が向いていた。

地元から出て暮らすことなど想定もしない母とは違って、外に出ていた父は外に出ようとすることを止めはしなかった。

それでも結局「女は高い金を出して大学なんか行かなくてもいい」と言い放ったのも父だった。

 

どうしてもと言うなら国公立に行けと、選択肢を残してはくれたけれど。それは私のためではなく家計のためで。

私より勉強のできない兄は、そうやって高校も大学も私立専願で進学していった。

中学時代、兄はおそらく大学進学率が1~2割の公立実業高校に進むと思っていたから、彼が進学しない分多少は余裕があると思い込んでいたのに。

 

兄が中学3年になって突然、「私立専願でゲタを履かせてでも普通科に進学させて大学に行かせる、だっていつか家の者ではなくなるお前らと違って跡取りだから」と言われたときの絶望ったらなかった。

甘ったれた田舎娘の夢らしい夢だけど、都会の中堅私立大に潜り込んで都会で大学生活を送るという夢は叶わないんだなと悟った。

 

だから大学4年間、私の勝手な仮想敵は、家に余裕があるから当たり前に大学に進学させてもらえる、都市部の中堅以下の学生たちだった。

今でもたまに思い出すのが、ゲストを見るために、友人とともに名前も知らないどこかの大学の学祭に出かけたときのことだ。

我が家だったら絶対に学費のムダだと切り捨てられる知らない学校で、「もう大学生か、立派になったね」と遊びに来た家族と楽しそうに笑い合う学生を見て死にたくなった。

ランクなんて関係なく、大学に進学したというだけで褒めて誇ってもらえる子どもがいるんだ。でもこいつら絶対私より勉強してないのにずるいと、それこそ子どもみたいな感情が止まらなかった。

 

でも逆に、自分より明らかにレベルの高い学校の学生は絶対にずるいとか羨ましいなんて言わないと決めていた。

絵に描いたように順風満帆な育ちだったとしても、私より家庭がしっちゃかめっちゃかだったとしても、行きたいところに行く力を身につけたからそこにいる人の努力をズルだなんて言いたくなかった。

あ、ちなみに妹のことはわりとどうでもいい。私が万一受験に失敗したら彼女の進学資金がなくなる的な意味では、彼女も同じ重圧を与えられたといえば与えられていたから。

 

 

結局私が愛せないのは、そもそもは家族そのものというよりは文化レベルとか金銭的余裕なのかもしれない。こうして頑なになることでしか自分を守れなかった余裕のなさなのかもしれない。

でももうニワトリが先か卵が先か理論のように、どちらが起因でこうなっているのかはもう分からない。

どこから間違えたか分からなくて、何を直せば同じ轍を踏まずにいられるのか分からない。だから再生産だけはしないように、自分の代わりに子どもに理想を叶えさせようとなんかしないように、私はきっと家族を作らない。

 

妻になれば、親になれば、それだけで誰かを無条件に愛せるのかな。

(3組に1組は離婚して、児童虐待のニュースが絶えなくて、こんな育ちだからとてもそうは思えないけど)

それでもこの国のどこかにはいるのだろう、それだけで無条件に家族を愛せる人たちが、自分の分まで幸せらしい幸せってやつを謳歌してくれればもういいかなと、勝手に託して勝手に願っている。