午前1時のレモネード

翌朝の化粧ノリより、夜更かしの楽しさが大事。

唯一とかいらないからちゃんとしたその他大勢にして。

f:id:reni025:20190306235752j:image

ズルズルと続いた遠距離恋愛を終わったことにしたその日、意外にも私を包んだのは解放感だった。

転職が決まった時、嬉しいと思うより先に退職を言い出すことに落ち込んだのをふと思い出して、人の予測なんてアテにならないなと笑えた。

 

私が逃げたかったのは、付き合っていた相手その人ではなくて、惰性で続いて来て鎖みたいになってしまった長い時間でもなかった。

「これだけ付き合ったなら、その先にはきっと何かがあるんだろう」という漠然とした期待のような顔をした呪縛だった。

何かあるべきなんだろうと、それを世間では普通と呼ぶんだろうと頭では分かっていたけれど、私はどこかでずっと「覚悟しなきゃ」と思っていた。

 

覚悟ってなんだよ。

少なくともその未来は普通、注射を待つ子どもみたいな顔でじっと耐えて待つようなものじゃないはずなのに。

私にとっては福音でもなんでもなくて、いつか来るかもしれない死刑宣告みたいに思っていた。

私がただの私として生きられなくなるって、主婦とか妻とか母とかそんな肩書きに束ねられてしまうって、それは嫌だと思っていたみたいだ。

 

好きだと思った人と一緒にいられることは幸せだった。自分もちゃんと女で、普通に恋ができるんだと思った。

でも、だったら、普通に結婚したいと思えて、普通に子どもがほしいと思えるのかなと思っていたら、全然そんなことはなかった。

考えれば考えるほどピンと来なくて、それを選んだ将来の自分を想像してみても、それは自分の顔をしただけの自分ではない誰かだった。たぶんそこに私の意思なんかないと、そう思ってぞくりとした。

あれが幸せだとみんなは言うけれど、一緒にいるこの人も同じように信じているけれど、きっと私にとっては絶対幸せの形なんかじゃない。そうしてぼんやりとだけど確実に違和感は募っていった。

 

終わりにして初めて、ああもうこう思っていていいんだと思えた。応えようと思わなくていいし、違和感を認めていいんだと気付いた。

パートナーに失礼だと、申し訳ないんだと思う必要もないんだと思うと、泣きそうなくらい気持ちが軽くて笑い出しそうになった。

結婚したいって思わなくていいんだってことが、それを認めても誰にも迷惑かけないんだってことが、こんなに自由で嬉しいと思わなかった。

私の友人知人は、私のことを連絡もせずに捨てられて可哀想みたいに思っているようだけれど。その実は逆で、何なら私は加害者だと思う。

 

あなたとの未来を、描いて信じられない女に時間を使わせ続けてごめんなさい。

もしかしたらそれに気付いていて、私が終わらせる前にさっさと終わらせていたかもしれないけれど。それならそれでいいかな。

私を好きになってくれて、好きにさせてくれた人の幸せくらいはちゃんと願えるから。

ごめんね、私はあなたの、誰かの唯一でいることが苦しかった。だからどうか、あなたの唯一になりたいと、あなたの手でお姫様になりたいと、そう思ってくれる子と幸せになってください。なんて、最後までどこまでも勝手でごめんなさい。でもちゃんと私なりに大好きでした。

 

 

異性にとっての私は、話せる女友達、面白い後輩、カッコいい先輩、そんな風に思ってもらえるなら全然構わないのだ。むしろそうでありたいし、そうあれることを誇らしいとすら思う。

でも所詮、女友達も先輩も後輩も、代わりのいる存在でひとりしか持たない必要もない。だから気楽でいい。

その他大勢の中で、他よりちょっとだけ良い。そのくらいがちょうどいい。相対評価で、ちょっと面白かったり性別を超えて話が合ったり、それでも女だからちょっと華があってお得。

私に求められる女扱いなんて、それくらいでもあればもう十分だ。

 

ひとりしか選べない、ひとりしか見ない絶対評価の、彼女なんて存在に私を選ばれるともうダメなのだ。

この人にとってだけでも私は女じゃなかったら、いつ女になればいいんだよ。そう強迫観念にすら似た思考から抜け出せない。

彼女にして欲しいこと、いつか奥さんになるかもしれない人にして欲しいこと。かわいい服を着て綺麗に着飾った彼女と歩くとか、手料理とか、行き届いた家事とか。

このままずっと一緒にいて、私が叶えないままだったら、この人はずっとそれが叶わないままだ。そう苦しくなってしまう。

 

こんな自分を好きになってくれた人は、私がそんなベタな女子みたいなことをやらないことくらい知っている。

だから良いと言ってくれたはずだし、そんな心の広さを好きになったはずなのだけど、だからこそ申し訳ないと思ってしまう。やらなきゃと思ってしまう。

そのくらいの夢さえ見せられないなら、選んでもらった意味がない。女として自分がいかにダメかは知ってるから、それくらい少しは頑張らないと。

そう思っちゃうんだよ。どうやらずっと思っちゃってたみたいなんだよ。女として頑張ることを楽しいと、これが恋の力かと新鮮だったこともあったけれど、いつまで続けるんだろうと思ったらもう無理だった。

 

肩書きなんかいらない。役職なんかいらない。そもそも誰もお前に与えないと言うならそれでいい。ただ居ることを許される、居場所が与えられればそれでいい。

それくらいは維持できるように自分で頑張るから。ちゃんと勤労と納税の義務を果たす、その他大勢の一般的な社会人であれるように頑張るから。

自分はいくらでも代わりの利く存在だって死ぬほど自覚している。だから、誰かにとって代わりの利かない唯一になれるともなりたいとも、思うことはできない。そのことを認められたい。逃げることを許されたい。

そんなことは自覚した上で、誰かの唯一で居続ける努力を重ねて責任を果たし続けることを、大人になると呼ぶのかもしれないとも思うけど。

それなら私は、ずっと大人になれないピーターパンの仲間でいい。

 

大人になることを放棄して、家族のために責任を負うことからも逃げて、子どもの感覚のままで気の向くまま生き続けていれば。

たぶんまともに大人になる知人や友人たちからは「自由で羨ましい」と言われるんだろう。

それこそ、優雅な独身貴族ってやつになれるのかもしれない。そんな自分はわりと容易く想像できるから、たぶんそれが正解なんだろうと思う。

誰かの唯一になれない代わりに、誰にとっても毒にも薬にもならない、ありふれてけれど完璧な中性の水で居られるように頑張る。

私は私でこうして戦ってみせるから。大人らしい大人になろうともがく誰かを助ける、そんな代わりの利くことを、きちんとこなせる「誰か」になりたい。