午前1時のレモネード

翌朝の化粧ノリより、夜更かしの楽しさが大事。

ヒト属ヒト女性の限界なんて、一生知らなくていい。

2016年10月末、新卒ながらすでに心と目のフレッシュさを放棄しつつある私と友人は語っていた。

「世の中には仕事もしながら家事もオシャレも家庭も自分磨きもすべて諦めずにこなしていく女性がたくさんいるのは知ってる。」

「だから自分はまだまだ人間の女性のキャパシティの限界になんて達してないのは知ってる。」

「だけど人間の女性のキャパシティの限界は、私という個体の限界とは違うんだよな〜!!!」

と、こちらの記事にちょっと救われた話。

 

私は自分たちが「高学歴女子」とは思わないけれど、それでも「そこそこ勉強してきたはずの女子」だとは思う。例えば友人は地元の進学校から、センター試験のみの推薦入試で地元の国立大に入学したなかなかの才女だ。

私も大学は違えど彼女と似たようなものなので、少なくとも学生時代に関しては「勉強に部活に就職活動にと何事も頑張ってきた方の女子」だと思う。

今までは何事も頑張ってきたし、頑張ってこられた。将来は仕事に家庭にとバリバリ両立して、今までもこれからもそうやって何事も全力投球で生きていくのだと思っていた。

 

だけどいざ社会人になってみて、私と彼女は思う。

「このままずっと男性と全く同じように働くって、無理だよね」

というか今となってはそんなことしようとも思わない。自分のこれからの人生とりあえず10年くらいに、ぼんやりと結婚や出産や育児を組み込んでみると、今と同じように働きながらできるともしたいとも思わない。それこそ「無理ゲー」だと、私たちは言った。

「無理ゲー」をこなしている人たちの存在が薄っすら認識され出しているのだと、「無理ゲー」だと思っていても甘えや弱さじゃないと思ってもいいのかなと少し救われた。

 

そもそもの私たちの話の発端はガッキー主演でいま放送中のドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」、

あれってめちゃくちゃ理想じゃない?という話だった。

 

私「お金貰って家に居られるなら喜んで家事やれる…」

友人「あれなら『養われてる』とも思わないしいいよね。実際はお金もらってようといつかその家事だって嫌になるんだろうけど」

私「それでもお試しでいいからあの生活がしたい。というかわたしはお家にいたいだけなんだよ」

友人「分かる。おうちが好きすぎてつらい」

友人「あと受験勉強なんかでも夜の方が集中できたし捗ったから、家で夜に仕事をしたい」

私「そう、もうおうちで全てを完結させたい」

 

お分かりいただけただろうか。

だいたい引きこもり体質な私たちの性質にも問題がある話ではあった。

だけど、こんな性質だろうとなんだろうと大学に借金をせずには通えなくて、「奨学金借りたから返さなきゃ」と有無を言わせずとにかく将来設計は後回しで働くしかない世の中ってしんどすぎるだろうと思うのは、それも甘えなんだろうか。

 

友人「職場に悪いんじゃとか思ってたけど、産休や育休が貰えるなら貰えるだけ貰いたい」

私「分かる。最低限だけでサッと復帰したいとか思ってたけど、自分はそんな超人じゃないと悟った」

友人「私バリバリ働きたいと思ってたけど、別に今なら結婚して家庭に入ってって言われたら全然嫌じゃないし入れる」

私「私も。養ってほしい〜とか専業主婦になりたい〜とか全然じゃなくて」

(※なんでお前ら自分たちが結婚できる前提なの?というツッコミはここではひとまずお控えください

 

私「それはそれでめちゃくちゃ苦労が絶えないのも承知の上で、それでも男女平等とか社会進出とかそういう土俵にずっといるのはしんどい」

友人「なんかそこまで限界に挑んでいたいわけではないよね」

私「自分くらいじゃまだまだ限界じゃなくてもっと頑張ってる女性がいるのは分かってるけど、『わたしのキャパシティは人類女性の限界ではないかもしれないけど私個人はこれが限界なんです』って言いたい言わせてほしい」

 

だって、例えば人類が走れる速さの限界はウサイン・ボルト選手の記録だけれど、世の中のどんなコーチだって所属のすべての選手に向けて「お前たちよりもっと速く走れるウサイン・ボルトという選手が世の中にはいる、だからお前たちもまだまだあそこまでやれるはずだ」なんて言わないはずだ。

そうやって身体能力だとか学力は「個々による限界の差」があると受け入れられているのに、どうしてこと体力だとか精神になると「他には出来る人間がいるんだからお前にもできるはず」理論が通るのだろう。

 

別に私たちは自分の限界に挑みたいとも知りたいとも思っていない。むしろこの歳になれば自分のキャパシティも分かってきて、キャパシティを決壊させないようにうまくやりくりしていくのが社会人ってやつなんじゃないの?と思う。

だから、私は人類女性のキャパシティの限界なんて、一生挑めなくても分からなくてもいい。

少なくとも誰もがそんな風に生きる社会を「男女平等」だとか「総活躍」と呼ぶのなら、もう私は不平等でも活躍できない人材でも上等だ。

 

とりあえず贅沢は言わないから、一等とは言わずもうちょっと下でいいから宝くじが当たって、奨学金返済のプレッシャーだけチャラにしてゆるりと働いていけたらベストだなと思っています。

契約結婚してくれる星野源は現れなくても仕方ない。代わりに現金だけ現れろください!!!