親のハード周りは面倒がらずに設定してあげるべきだったなって話
世代的に珍しくもないことだけれど、わたしの親は機械音痴だ。父は使える方だけれど、特に母はまったくだ。
例えば初めてiPhoneを買った時「なんでAppleのアドレス?ID?なんかが要るの?買ったのauじゃん、Appleで買ってないじゃん」と言っていた。
auなり、ドコモなりSoftBankなりがApple製のものを売っている、という仕組みがいまいち理解できてなかったらしい。
説明しても「よくわかんない、何言ってるの?とりあえずどうしたらメールとかアプリ触れるの?それだけ教えてくれればいいの」とどんどん怒り顔になるので、諦めてこちらで全て設定した。
とはいえわたしも家を出ている身だし、全部が全部頼られてもどうにもできないしな、と思ってその時々でしか対応していなかった。
けれど、今日母のiPhoneの使用・設定状況を把握せずに設定を変えたら悲惨なことが起きたので、もう腹を括って何もかも設定してあげればよかったなと思った話。
おばさま大ショック、消えた写真データ
結論から言えばそういうことだ。
問い合わせとしては、よくある「写真の容量がないって出てくるからなんとかして」と、「カメラロールとフォトストリーム?が2つあってよくわかんない」の合わせ技だった。
パソコンなんて触らない母がフォトストリーム・iCloudを使っているわけもないので、「フォトストリーム共有切れば済む話では?」と、フォトストリーム共有設定を切ると同時にフォトストリームを削除した。
そしてフォトストリーム分が空いたiPhoneを返すと母が一言、
「この『フォトストリーム』の中だけに入れてた写真はどこに行ったの?」
えーーーーー。
なんで共有設定もわかってないし設定してないのに、そこだけは活用してるの母さーーーん。
フォトストリームが何かは分からずとも、「カメラロールの写真を消してもフォトストリームだけに写真が残る」ことは理解していらしたようで、カメラロールの写真はガシガシ消していたらしい。
しかも大事な写真に限って、本体に残るカメラロールではなくフォトストリームに入れていたようで、母しばらく放心。
わたしもそんなことをしているとは思っていなかったので、もう謝るより前に放心。
状況を整理しよう。
- 母のiPhone:5s(16GB)、買ってからアップデートしてないためiOSは7あたり
- iOSが古いため、8.0.3あたり以降に登場した「最近削除した項目」なども存在していない
- iCloudはアカウントだけは設定していたけれど、わたしを含めて家族の誰もPCにはiCloudソフトは入れていない(=共有先は未設定かつダウンロードもしていない)
- ちなみに一度フォトストリームをオフにした後にすぐにオンにしてしまっている
もう勝てる要素が見当たらない。
せめて父が共有設定をしていてくれればとも思ったけれど、Appleは好きでMacは触れども、素人の写メなんかには興味のない父がそんなことをしているはずもなかった。
わたしもずっとDropbox派だったので、iCloudのことはいまいち分かってなかったのもさらによくない。
今からでもiCloudをPCに落とせば、今までサーバーに送られていた分は生きているのでは?などと淡い希望も持ったけれど、そもそもフォトストリームを消した時点で「すべてのデバイスの」フォトストリームから消えるとのことでそんなことはなかった。
そもそもOSの古さとか、保管期限30日とかの縛りもあってどのみち機能はしていなかった気がする。PCでの保存もしていないし、初めから期待するだけ無駄だった。
iCloudと連動して使用されている、メールとかメモだけは綺麗に存在しているのがなんだか泣けた。
覆水と失ったデータは返らないけれど
とりあえず改めて年末に帰省する時は、iOSをアップデートしてDropboxを落として、Dropboxへも写真を自動アップデートするようにガッツリ設定してあげようと思う(DropboxのアプリさえOSが古すぎて落とせなかった)。
また基本的に母はLINEなどにアップするために写真を取っているので、トークルームの写真項目から再度落とす術もあるよとは伝えておいた。
それでもそもそも、何を入れていたかももうハッキリしないと言うし、何より母にとっては「わけのわからない、面倒で過酷な」作業だからやらないだろう。
「わからないから」と誰にも頼みも聞きもせず、何の設定もバックアップもしていなかった母に「なんでだよーー」と一瞬思ってしまったけれど、それは責任転嫁だ。
何も聞かず思い込みで、「削除」のポップアップにも躊躇せずオフにした自分に非はある。わたしを含めた子どもの成人式とか卒業式とか、父(わたしにとっての祖父)の闘病記録とか、たぶんそういうものが確実に何枚かは消えてしまった。
すぐに「わけもわからないからもう仕方ないんだろう」と切り替えてくれたけれど、実際はそんな記録を残しておくことが使命のように思っている母だから、それはもうかなり胸を痛めているだろう。
一番いいのは復旧してあげられることだけれど、どこにも保存されていないものはどうしようもなくてどうにもしてあげられない。もう、せめて二度目を防ぐことしかできないのだ。
大袈裟かもしれないけれど、たぶん将来母が老いた時に、こうして母の思い出を消してしまったことを死ぬほど後悔するような気がする。
たった数時間の作業でそれを防げたなら、設定しておいてあげればよかったな。
としみじみ思ったので、年末年始の帰省時にはこんなことでも親孝行の一環だと信じてPCを触ってきます。
というわけで年末目前、明日から今年度最終週。あと少し、がんばりましょう。