青春じゃなくても、モラトリアムは終わってない。
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。
松の内もとっくに明けて、あけましておめでとうなんて言える時期は過ぎてしまったのですが、新年最初の記事なので許してくださいな。
年末年始は地元に帰って、ほとんど毎日のように友人たちと遊んできました。
わたしの友人はほとんど地元就職組なので、むしろ帰らないと誰にも会えないのです。地方の進学校出身者は公務員就職組が多めなのは気のせいではないはず。
そもそも、大企業なんてほぼない地方在住でそこそこの教育を受けてるなら高確率で親御さんも公務員なんですよね。ハタチを越えてやっと気付いた事実。
そんな公務員組に加え、民間就職組も1年目はまだ重めの仕事もなく帰って来られる率が高く。浪人組もわりと居るので、今年は集合率が高かったのです。
でもその同級生たちの集合率は、たぶん今後は下がる一方なんですよね。だからこそ今年の年末年始は引きこもりのくせにほぼ毎日のように出歩いたし、行ける限りは来年以降も行きたいと思っています。
集合率が下がるだろうと言うのは、単純にみんなどんどん仕事量も責任も増えるだろうからというのもありますが、親の言葉に気付かされた部分が大きいです。
親戚もちらほらと顔を出す年末年始に出歩く娘に向かって「また出かけるの」と少し顔をしかめつつも、
「でもいつかそう遠くない未来、何人かが家庭を持ち出したらこんな風に好きに集まれなくなるもんね。今のうちに行ってきなさい」と仰った母。
その時わたしは、いつか職場の先輩に言われた「25歳を過ぎたら一気に結婚式って増えるよー、ご祝儀貯金が必要なレベルだよマジで」との言を同時に思い出して戦慄しました。
確かに結婚したら気軽に飲み歩けないですよね、友人たちとの集まりの参加率も下がるか途絶えますよね、なるほど雑誌の女子会あるあるとかで見たことあるわ!!!と。
そう思うと、わたしたちはまだモラトリアムの中にいるのかもなと思いました。
わたしは無意識ながら、社会人になったら青春は終わるんだと思っていたんです。
少なくとも分かりやすく、夜中の公園で語り明かすとか天体観測とか夏の水遊びや花火とか、思い立ったが吉日旅、みたいなことはできなくなると。
それと同時に、社会人になればいわゆるモラトリアム期間も終わると思っていました。
ひとまずとある「職業」という型にはハマった時点で、自己分析にも通じる自分探しの猶予はもうないと。
だけどまだ支える人も顧みる家庭もなく、誰にも咎められずに会いたい時に会いたい人に会いに行ける時点で、わたしたちを縛るものはない。それってまだ十分に社会的猶予を与えられてるよなと思いました。
実際、年越しは青春のきらめきこそないですが、部活仲間と鍋からのゲーム+トランプ大会で一夜を明かしてからの初詣に出掛けました。
「完徹の目に初日の出が眩しい!」だの「眠たすぎて何が何だかわからない!」だの、そんな意味の分からないことで笑っていましたが、意味のないことで笑っていられる時点でまだまだ自分たちは自由だなとも思ったんです。
なんて、数年後の自分や社会人の諸先輩方が見たら「小っ恥ずかしい!やめろ!!!」と叫びそうなことを噛み締めた年末年始でした。
※このブログは将来の自分に向けて、積極的に小っ恥ずかしくも純粋だった気付きを残すことが一目的です。忘れたくない、ピュアなキモチ(吐血)。
ということで、今年もそんな日々思ったことを綴っていきたいと思います。
まずは12月に、メモ代わりに走り書きした下書き状態の記事がいくつかあるのでそれから供養していきたいですね。年を越える下書き。ごめんよ。
今年は社会人2年目、そして年女になります。改めて、今年もよろしくお願いします。