午前1時のレモネード

翌朝の化粧ノリより、夜更かしの楽しさが大事。

社会人だけど迷子センターに行きたい。

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ショッピングモールなんかに存在する迷子センター。もしくは迷子カウンター。

呼び名は施設や地域で様々だと思うけれど、とりあえずそこそこ大きな商業施設であれば設置されているだろう。

 

リアルな迷子として最後に利用したのは、おそらく20年とか前なんだろうけど。

社会人になった今、社会の荒波の中で迷子になっている感(もしくは写真のペンギンのように氷上を漂流して遭難してしまっている感)が、めちゃくちゃ大変ものすごくある。

そんな風に自分を客観視して、今更ながら迷子センターに保護されてえな、と思うのだ。

 

だって迷子センターって素晴らしいよ。

 

迷子になって「えーん」って泣いてれば周りの大人はだいたい連れて行ってくれるし。

着いたらセンターのお姉さんがよしよしって保護者と自分のお名前を聞いてくれるし。

その上で、保護者が迎えに来るという解決のために放送で呼び出しをしてくれるし。

「自分の居場所や保護者の行き先が分からなくなったら、とりあえず駆け込めば何とかしてもらえる」場所だったじゃない。

 

 

だけど、年齢と肩書きだけは「大人」になってしまった今。そんな風に駆け込めて、導いてくれる場所なんてどこにあるだろう。

実家だってそんなに余裕はない。だから返せるようになりたくて家を出たはずだった。

まだ自分の家庭を持っているわけでもない。持てる責任なんてあるとは思えない。

医師もしくはカウンセラーだろうか。はたまた就職・転職エージェントだろうか。

だけど「いい大人」であることを気にして、「とりあえず駆け込む」には弱いかなあ、なんて考えて勝手に自分の首を絞める。

 

 

分かってはいる。

「どうしたらいいか分かんないよ、助けて」なんて泣いても、大人には誰も手を差し伸べてくれない。

どうなろうと、最後には「自分で行き先を調べて考えて決められる」ことが「大人」の要件なんだろう。

分かってはいるんだけど。

「こうしたら失敗しないよね」って、より安全そうかつマジョリティに指示されそうな方を選んでは、安心と安定を支えに生きてきたゆとり優等生にとっては、そんな冒険と決断が何より怖いしストレスだ。

 

 

自分で決めたことだってあったけど。

進学する学校とか、入る部活やサークルとか。付き合う相手とか、その程度。

所詮はそんな一過性のことで、そんなことを自分で決められたからって、じゃあ進路や人生も自分で決められるよねなんてことはなかった。

驚くことに、社会に出るまでは気付いていなかったんだけど。

もう自分は十分立派な大人で何もかも自分で決めて生きていけると思い込んでいて、社会に放り出されて初めてそうじゃないと愕然とした。

 

 

「やりたいことがあったことがない、自分のやりたいことが分からない」「今までは道筋がはっきり示されていたからその通りにできたけど、正解が分からないと辛い」と言うこの就活生の記事を読んで。

「おかしいな、これ今の私が後悔して悩んでいることそのものだな」と、社会人なのにハッとしてしまった。

 

 

「あなたは社会に対して何がしたいの?」「あなたは自分の将来をどう考えてるの?」

そんな風に自分のことを聞かれると、こんなに困るようになるなんて思わなかった。

学生時代、好きな教科はあった。好きな学問はあった。好きなスポーツもあった。

だからそれで生きていけると思っていた。だけどそれだけでは生きていけなかった。

 

 

私のしたいことは、精神的に苦痛じゃない内容の仕事をして、他人に迷惑を掛けずに生きていくことなはずだった。

でもそれだけでは羅針盤の針にはなり得ない。迷子を案内する材料にはできない。

就活が上手くいかなくて、周りが内定式に出ていても内定がなかったあの頃。

「とりあえず自分の社会での居場所が確保できればいい」「必要としてもらえればそこが目的地になる」なんて思っていたけど、実際は得たはずの居場所を居場所と思い切れなくて迷っている。

 

 

今までは迷子を導いてくれる大人がいた。

小学校から中学校へ、中学校から高校へ、高校から大学へ、そして大学から社会へ。

もちろん自分でも努力はしたけど、大人が導いてくれた道筋があった。今思えば、半分くらいはそこから外れないための努力だった。

学年の年次が、カリキュラムが「この学年ではこういうことをするよ」と導いてくれていた。

決まった年数そこに居れば、自動的に次の場所へ行けた。

 

だけど今は、自分で動かなきゃほぼ確実に、永遠にそこに留まるしかないのだ。

自分で助けを求めて動かないと何も変わらない。動けなくなっている迷子に手を差し伸べてくれる人はもういないのだ。

「マジョリティが歩んできた道筋から外れなければ正解」だと信じて生きてきて、これからもそれで「理想の未来」って奴が手に入ると思っていた。

 

だけど突然「好きに歩けよ、もう大人なんだから分かるだろ」と言われて、梯子を外されたような気持ちになって。

「マジョリティの言動」を指針にした羅針盤じゃ、社会という海は渡っていけないらしいと今更になって気付く。

ああ自分はホントに頭でっかちの世間知らずだったなあと、これまた今更気付いては自分に絶望して途方に暮れる。

こんな自分の行き先が分からないから、駆け込み寺か迷子センター現れてくれーなんて思うけれど、それも自分で見つけないといけないのが大人ってやつらしい。

 

 

なんて頭でっかちな分析ができたところで、世界も状況も変わらないけど。

大人のくれた道筋を、明るいゴールが待っていると信じて笑って歩いていたあの頃には戻れないから。

泣いても、病んでも、吐いても、自分で進む道を見つけるしかないのだ。

がんばろう。

もうすぐ、月も変わる。