午前1時のレモネード

翌朝の化粧ノリより、夜更かしの楽しさが大事。

ダメ営業だった第二新卒が退職を伝えてきた話

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転職活動中から、この日のことはしょっちゅう頭によぎっていた。けれど深く考えないようにしていた。

一応、上司に伝えるタイミングとかシチュエーションなんかは、強迫観念に駆られたかのように、腐るほど検索をかけて知識を集めていた。

だけど実際に何を理由として伝えるか、何から話し始めるかはいつまでもまったく具体的にならなかった。

 

ならなかったけど、今日。

心の準備も場の準備も中途半端なまま、勢いだけで帰りがけに上司に声を掛けてしまった。

狭いオフィスだから、声を掛けた上司のすぐ隣のデスクにも正面にも先輩が居た。それでも「ちょっとお時間いいですか」と言い切った。

ここで切り出さなければ、次の職場に移っている頃に佳境を迎える予定の仕事を引き継いでしまうから。

そうして引き継いでしまって即・再引き継ぎをするくらいなら、土壇場のちゃぶ台返しでもいいから引き継ぎを止めてもらわないといけないと思った。

 

会議室に入って最初の1分は世間話。そこからはもう、何という言葉から切り出したのか覚えていない。

私が「転職」と「退職」という言葉をはっきり発したときの、上司の顔も覚えていない。たぶん、怖くてちゃんと見ていない。

ああまだ6月のままじゃんなんて、カレンダーなんかを見ていた気がする。

ただ涙混じりで震えそうになる声が、本当に泣き出さないように必死だった。

最初の一言が何だったのかもう分からないけれど、気付いたらつるりと、すらりと「退職させていただきたいと思っています」まで言葉が出てしゃべり終えていた。

 

 

伝わってしまった。後には引けなくなった。

その次の瞬間、上司の対応は完璧だった。

初めての退職・転職で、他がどうなのかなんて知らないけど、とにかく完璧だと思った。

『やっぱり』といった呆れと諦め混じりの悟ったような顔もせず、かといって『聞いてないよ』といった鳩が豆鉄砲を食らったような顔もしなかった。

ただただ「そうだったのか」と事実だけを受け止めてくれていた。

突き放すでも引き留めるでもなく、まず「なるほど」と言ってくれた。

 

会社に未練はない。でもこの時、この上司の部下を辞めることだけでも惜しいと、ただただ心から思った。

本当は、これを機会にとダメ出しや説教をされても仕方がないくらいに私はダメ営業だった。

行動力も発想力もなくて、何より人に何かを買ってもらおうなんて考えたこともないから売り方なんて分からなかった。

そんな私が辞めるのは、お荷物が消えたと喜ばれたり、手間だけ掛けやがってと悪態をつかれたりしても仕方なかった。

 

だけど上司は、頭に過ぎったであろう全ての負の感情を飲み込んで、ただ「そうか」と言ってくれたのだ。

静かに、凪いでいるとも言えるような穏やかな声と表情で。

そして「君が新卒面接で話してたことは覚えてるよ。詳しいことは分からないけれど、次の会社での仕事は元々君のやりたかったことに近付けそうだね」とまで言ってくれた。

何より「ここしばらく思い詰めてる風だったから、仕事を変えるという形でも解決しそうなら安心したよ」とまで言われて、懐の広さに泣きそうになった。

 

「勝手な都合でご迷惑をお掛けして申し訳ありません」とただ謝ると「自分の人生でしょう、謝らずに進めばいいんだよ」と言ってくれた。

「自分の人生でしょ」という言葉は、ともすれば突き放した言葉かもしれない。

もう我々という組織と、あなたという個人の人生は交わりませんという風にも取れる。

だけど謝罪と弁解の言葉だけを用意して臨んだ私にとっては、そんなのいいんだよと背中を押してくれたように感じた。

 

こんな上司に、ただでさえ上層部と若手の板挟みで心労著しく忙しい上司に、さらなる心労と迷惑を掛ける私はクソだと思う。

だけど本当にそう思うなら初めから転職なんかするなという話で。

それでも、留まり続けてもこの人に「こいつをどげんかせんといかん」という心労を掛け続けると思ったからこその転職だった。

それなら確かに、後ろを振り返らずただ前に進むのがせめてもの恩返しというやつだろう。

結局自分で獲ったわけではない、わずかでささやかな仕事でも、残りをきちんとこなしてから去るしかない。

 

私はもうこの会社を辞める。立ち去る。

優しかった人が冷たくなったり、逆にうまく話せなかった人と仲良くなれたり、たぶん色々あるんだろう。

次の会社で、こんなに良くしてくれる人たちに会えるのかも分からない。

それでも賽をぶん投げたのは私だ。

上手くプレイできるかも分からないけどやらせてくださいと頼んで、別のゲームに移りますって宣言したのは私だ。

もう「進行方向が『前』だ」と決め付けてでも、前を向いて走り出すんだ。