「女子」を断捨離しています
すこし前に25歳になった。
四捨五入したら「アラサー」と呼ばれる歳で、転職して職歴が一度リセットされた私は忘れていたけど社会人歴も3年目になり、結婚する友人も増えてきた。
私はというと、その25歳の誕生日に彼氏と別れた。ことにした。
過去に遠距離恋愛について語っておいて恥ずかしいのだけど、もうそういうことにした。
そもそも既に彼氏でもなかったのかもしれない。たぶん、相手の中ではもう終わっていたと思う。つまりは自然消滅。少なくとも、半年以上会うこともなく、連絡も向こうから来ることはなくなっていた。
追ったり引き留めたりする気は元々なかった。いつかの私のように仕事がうまくいかなくて、明るさが取り柄みたいだった人がどんどん無気力で引きこもり気味になっていたのを知っていて、私のことも考えてなんてとても言えなかった。だから正確には、重荷になると分かっていて追う気なんて持てなかった。
あの頃の私に恋愛のことなんて考える余裕はなかったから、今私が何を言っても届かないだろうと思った。
考えれてみれば、そこで頼ってもらえないし届かないと悟っている時点でもうダメだったのだろう。
私で救えるとはもう思えなかったから救おうともできなかった。お節介と思われる方が怖かった。そもそも「何かできないか」と思った感情さえもう「恋愛感情ではなくただの情」だと気付いてしまった。
それでも長い付き合いだから、最後くらいは曖昧じゃなくきっちり終わらせたくはあった。そうでないと、想った年月分くらいは引きずる気がしたから。
けれどそれさえも考えればただの私のエゴだし、新幹線で3時間以上かけて別れ話をしに行く気にもなれない。何よりそれさえ断られるような気がした。
だから勝手だけど引き際を決めたのだ。誕生日さえも思い出してもらえなかったら、1日何の連絡もなかったら、もうその日をもって終わったことにしようと。
そうして誕生日が終わると同時に、約7年続いた関係も終わらせた。
それで何が変わるだろうか、と正直思っていた。だって別れの言葉も何の証拠もない、勝手に終わらせて勝手にセンチメンタルになった、ただの一人相撲だ。
なのに、不思議と一気に楽になった。
20代になってから何度かぼんやりと「このまま付き合い続けたら彼と結婚するんだろうか」と考えた。それは幸せのひとつの形として想像はできなくはなかったけれど、同時に世間の「普通の幸せ」にがんじがらめにされる息苦しさも想像できてしまった。
彼が、彼だから、ダメというわけではなかった。どう妥協しようと考えたところで、結婚して子どもを産み育てることを「幸せそう」だとは思えても「やりたい」とは思えなかった。その幸せそうな笑顔の下で、疲れた顔を浮かべる女性の姿しか描けなかった。
今この時点でこの思考ということは、だいたい世間の結婚圧力が高まる30歳から逆算すると、そこまでに信頼できる誰かと交際して結婚する決意を持つに至るには間に合わないだろう。
おそらくもうあと25年くらい生きないと、私は他人の人生にまで責任を持てると思えない。何ならその歳になっても怪しい。けれど、50歳になってからでは遅いことも分かっている。
だから、もう「結婚しようと思えるようになることを願う」ことを諦めた。そうすると一気に楽になった。
手始めに「いつか結婚するかもしれないから」とあまり使わないようにしていたお金を、わりと気楽に使えるようになった。
数年間ずっと気にしていた、軽度の喘息を完治させるために長期的に病院に通い始めた。これは自分のためだけのお金だと決めてしまえば、自分の健康にお金を掛けなくてどうするんだと思えた。
同年代女子になんとなく対抗して「私だってそういう女子らしい格好くらいできる」と持っていた、ひらひらした服やふわふわと柔らかいパステルカラーの服を捨てる踏ん切りがついた。
今の自分は、アースカラーやユニセックスなブランドが落ち着くんだと今更ながら気がついた。
「結婚したら買い換えるかもしれないし」と、大学進学からほぼ入れ替えることなくずっと使っていた家具を、入れ替えたり増やしたりし始めた。
やっぱりパステルカラーのものが似合わなくなってきた部屋には、どんどんモノトーンと木目調の家具や小物が増えてきた。シンプルなものとファンシーなものが入り混じってどこかちぐはぐだった部屋に、ようやく統一感が生まれてきた。
「女子にしては色気がなさすぎる」と、可愛い雑貨店で買った小物を置いたりしていたけれど、やっぱり色気なんかどうでもよくて無印良品あたりが好きだなと改めて思うようになった。
別にこのうちどれも、彼のためにやっていたわけではない。そもそも彼の好みは(男子校か男兄弟のみで育った人にありがちな『レモンイエローとか水色とかのパステルカラーが似合う、西野七瀬ちゃんや橋本環奈ちゃんのようないかにもな女の子』だったので)合わせてやってらんなかった。
どちらかと言うと彼の存在は後付けで、ただ私が勝手に「私が思う、恋愛してオシャレして結婚をする世間一般的な女子」になりたくてやってみていただけだった。
それが苦しいと思ったことはなかったし、何なら「自分もこんなことできるんだな」とコスプレ感覚で内心にやにやしていた節もある。
なのにこんなに楽になった。1日を終えてメイクを落とした時のような解放感があった。
こうなってやっと、私は「いつかは結婚をしなくてはいけない」とか「そう思えないといけない」というプレッシャーに囚われて「女子」をやっていたんだとようやくわかった。
だからもう「世間一般的な女子要素」をざくざく断捨離していくと決めた。今の私には「自分にとって唯一の『女の子』または『女性』であること」を期待している人はいない。
この機会に世間とか常識とか彼氏のためとか、男性受けだのモテ狙いだのいったものを処分して、今の自分が思うなりたい大人になろうと思う。
だけどやっぱり、これは確かに失恋でもあるのだ。
ふと寂しくなったり落ち込んだりした時にリフレインして自分を慰めていた幸せな思い出は、色褪せて効力をなくしてしまった。思い出して辛くなることはないけれど、私を幸せにするパワーももうなくて、ただのキレイな過去になってしまった。
彼を嫌いになることは多分ずっとない。ひとりの人間としては尊敬していて変わらず好きだ。ほぼ遠距離だったけれど、一緒に過ごした時間は良い思い出しかないし、私に「普通の恋する女の子」を経験させてくれたことには感謝している。
でも、願う資格もないけれどできれば、結婚とかはあと5年後くらいにして欲しいと思ったりもする。私の知らない、私とは違うタイプの娘であってほしい。でないと私じゃ決意させられなかったんだなと落ち込んでしまいそうだから、許されるならそれだけお願いしたい。
暖かいお茶が温くなってしまったような穏やかでありふれた終わり方だけど、実際もうここに熱さはなかった。それでも、楽しくて幸せだったと今は思う。後悔は、一応、ない。
25歳は大人だと思っていたし、結婚する人も増えてくるから実際そうなのだと思う。
年齢だけでも大人になったから、私はもうお嫁さんを夢見る「女子」は辞めて、ひとりの「女性」として折れないように生きていきたいと思う。そうする。