午前1時のレモネード

翌朝の化粧ノリより、夜更かしの楽しさが大事。

雨の夜の散歩は透明ビニール傘が粋なのです

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信号を3つ渡れば5分で地下鉄の駅。あの頃の私に話したら、なんて曲の歌詞だっけとでも返ってきそうだなと思った。

透明なビニール傘に弾けて滲んでいく、6月の雨の夜の街を、隣駅まで向かう信号待ちにみていた。
腕にふれる風は蒸し暑くもなく肌寒くもなく、湿気った空気がただぼんやり歩きながら吸うのにちょうどいい。

駅前の交差点で向かいのビルを見上げながら、なんだか急に雨に溶かされたように平日の緊張が解けて現実味まで溶けてしまって、今日が何曜日で自分は何歳なのか忘れたような気持ちになる。
既視感というよりはデジャヴを感じて、でも今大学生で今日は土曜日くらいかと思ったけど私の大学生活にこんなビルはなかったし地下鉄なんて当然走ってなかったなと冷静な自分もいて、はて私はいつを思い出しているんだろうかと思う。


突き詰めてしまえば、私にとって一番「エモい」気持ちになれるのは、旅立ちの春の朝でも夜更かしして迎える夏休みの早朝でもなければ、夏の終わりの夕暮れ時でもなくて6月の雨の夜なのだった。

祝日も季節のイベントも特にない地味な月だけど、思い返せばだからこそ学生の頃はけっこうイベントが捻じ込まれていて、大イベントではないからこそ意外と何かと思うところがあったのだ。


ざっと思い出せるだけで、体育祭、定期テスト、あとは部活の地方大会。

体育祭は班行動だの事前の準備だのがほとんどなく、修学旅行や文化祭ほどはシチュエーションの魔法が起きない。だから精神の安寧が約束されるし、優勝に向けて燃える役割はアクティブな方々がこなしてくれるので、騒ぐこともなく穏やかに過ごせてわりと好きだった。
前日の夕方から降り出す雨に、こんなに雨降っちゃってグラウンド無事かな明日体育祭できるかな、やっぱ延期か、というお決まりの流れを一度はやる間延びした感じも嫌いじゃなかった。


勉強に集中できそうで逆にセンチメンタルな雰囲気に楽しくなってしまう雨の夜は、試験対策が捗るわけもなくて、翌日のテスト科目ではないけれど持って帰ってきたから机の上にある、好きな教科の資料集だの用語集を読み耽ったり無駄に綺麗にノートをまとめていたら空が白んでくるのだった。

明るくなってきた窓の外を見て後悔するのは、あぁ勉強できずに朝を迎えてしまったなんてことではなくて、1年に数度しかないちょうどいい気温と湿度と強さの雨の夜が終わってしまうということばかりだった。
しかも雨がほぼ止みかけて、限りなく白に近い薄グレーの空をした、静かで涼しい雨の朝も1年に数度しかないから、そのことにも徹夜明けの妙にすっきりした頭でテスト前にはしゃいでいるのだから救いようがなかった。


部活の地方大会のことは、たぶんいつまでだって覚えている。
6月の雨の夜、宿舎から出て友人や先輩と買い出しに向かって、自分たちの生活圏にはないスーパーやドラッグストアで、自分たちの生活圏内でも買えるけどあえて買わない、携帯用の洗顔だとかプチコロンみたいなものを、わざわざ記念に買って帰るのが私のルーティーンだった。

明日誰かが夢を叶えて、誰かの青春が終わって、私はそこまでのものを賭けてはいないけどやっぱり1年でダントツに緊張する大舞台ではあって、それでも知らないこの街ではいつも通りの生活が営まれてるんだなぁなんて他人事みたいに考えるのが好きだった。

あの時ドラッグストアで買った携帯用の洗顔は、なんだかもったいないしそもそもあまり肌に合わないし、でも思い出はあるからと3度引っ越してもまだ洗面台の中にいる。
あの日一緒にドラッグストアに寄った先輩は、去年の今頃に結婚したと、この前の誕生日を祝った時に教えてもらった。



ちかちか点滅する向かいの歩行者信号みたいに、走馬灯みたいな記憶が脳内をちらちらと掠めて、水族館の水槽を揺蕩っている海月のようにゆらゆらと通り過ぎていく。
もうあの頃の空気の匂いを嗅いでも、戻りたいと思わなくなったなぁ。ビルの谷間を反響する雨の音に包まれながら眠る時みたいに、ぼんやりと膜が張ったやさしくて柔らかい記憶になった。

あの頃の私に、いつかの6月の平日の雨の夜、この街をコンビニに行くためだけに散歩したりなどするよと言ってもきっと創作だと思い込むんだろう。
いつかの夢の中に今の私はいるけれど、こんな雨の夜だから見ているのは夢じゃなくて優しい思い出で、そんなオチも嫌いじゃない。
数年前の私はそうして過去を振り切れない自分が嫌だったけど、今はちょっとコンビニでスイーツを2つ買うくらいの甘やかしコンテンツとして、飴玉を舐めるような気持ちで記憶を脳内で転がせるようになった。


地下鉄から出てきてすれ違った高校生の女の子と、同じくらいの歳だった私が頭のどっかにいて、こんな時間に家に帰るんじゃなくてコンビニに行けるの楽しいな!と叫ぶ。
うん、そう、別にもうにやけないし噛み締めないけど、雨の夜の散歩は楽しいんだ。

ビーチサンダルの足元が歩くたびにぎゅっぎゅっと鳴る。夜の街なのに財布と携帯だけ持って半袖ハーフパンツにビーチサンダルなんて、身構えなくなった自分も嫌いじゃない。
先行き真っ白なキャンバスみたいなモラトリアムの無敵感はないけれど、好きな時に好きなものを買って好きなことをできる無敵感も悪くない。
そんな大人がたくさん歩く街に、たぶんもう溶け込んでいる私は夜を歩く。