午前1時のレモネード

翌朝の化粧ノリより、夜更かしの楽しさが大事。

「思い出になんてすると、星になって輝くから」

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君の願いが どうか 粉々に砕けますように

きれいな思い出になんてすると 空にのぼって いつまでも星みたいに輝くから

ハチミツとクローバー / 野宮匠

 

私の好きな漫画の、大好きで大嫌いな台詞だ。

初めて読んだ中学生だった頃には、思い出が輝いちゃダメな意味が分からなかった。

願いが砕ければいいなんて言い回しが「ひどい」としか思えなかった。

 

だけど、あれから10年経った最近。やっとこの発言の意味が分かってきた。

私にも「これからも、いつまでも自分の中で輝いてしまうんだろうな」という思い出ができてしまった。すごく大切で、眩しくて愛しくて、思い返すと胸がきゅんとしてどうしようもない思い出だ。

私にとってそれは、中学生から大学時代まで続けた部活の記憶だ。

 

 

思い出したきっかけは、先日大学の後輩たちの引退試合を見に行ってきたことだ。

高校までは、私のすべてと言っても過言ではなかった部活。けれど大学では逃げるように引退した部活だ。

大学の途中でどうしても奨学生にならなければいけなくなった。だから変わり者の教授からSもしくはA評価以上をもぎ取るために、研究室に必死になった。

効率の問題もあるけれど、わたしの場合成績はレポート(のための資料集めと読み込み)に費やした時間が成績に比例した。自然ときちんと練習にも顔を出せなくなって、ガチ勢からは後輩先輩同期を問わず当然のごとく呆れられた。

それでも、結局は「好きでやっている」部活だ。ましてや個人競技。他人の好きなこととの向き合い方に口を挟まれる筋合いはないと思ったから、わたしは的かつ、ガチ勢ではなくても最後まで居られるモデルケースになれればいいという温度感だった。

 

そんな終わり方だったから、もう近寄ることはないと思っていた。顔を出す資格もないと思っていた。

だけど他ならぬ、今日で競技生活は最後という後輩が、来てほしいですと言うのだ。社交辞令だと受け流せない、本気だって嫌でも分かるお願いをしてくれるのだ。

9割に嫌われて見放されたって、1割の子たちがそう言うなら。それでこんな私でも、少しでも彼女たちの背中を押せるなら行こう。

そう思って先日、片道2時間半かけて行ってきた。

 

同期の車で会場へ向かって、駐車場に入って。その時点で、試合会場に入るどころか見えただけの時点で、一気にいろんなことがフラッシュバックしてしまった。

会場に着いた瞬間、その一瞬で、私は部活がすべてだった頃の私に戻っていた。

 

躍動する、カラフルなジャージやユニフォーム姿の選手たち。

制汗剤とシーブリーズの匂い。

交錯する嗚咽と歓声。

淡々としたトーンでゲーム結果を告げるアナウンス。

熱く力強い声の実況。

 

全部がタイムカプセルみたいにそこに詰まっていた。

だけど、もうそれらは自分のものではなくて、空にのぼってしまった星みたいに遠くから見つめるしかない輝きだった。

ああ、こういうことだったのかなと思った。

あの頃の私の「ずっと今のままいられたらいいな」なんて叶わない願いは、他の誰かにとっての「ずっと続けばいい今」として別の形で続いている。蚊帳の外からの夢の続きなんて、見たくなかったな。と少し思った。

 

私も同期も、私の知る後輩たちもみんなここから消えてしまっても、私が愛したものたちはここから消えないんだと思った。

私が見て憧れていて、辿り着いて、このままずっと住んでいたいと願った星そのままじゃなくなっても。

タイムマシーンかコールドスリープの機械から出されたように、当時の住人がそっくり消えて別の人に入れ替わっていても。

変わらないものってあるんだね。私が勝手に空の星だと思っていたものは、宝箱にしまっていたものは、わたしの中で終わっていただけでまだどこかでしっかりと誰かを照らしていた。

 

その光や輝きがもう自分に向けられたものじゃないことだけは、やっぱりとてつもなく寂しいし羨ましいけど、変わらずそこに在ることがとても嬉しかった。

この思い出が砕けてほしくなんてないし、砕くつもりもない。

でも空に昇った星としてきらきら眺めるようなものでは少なくともないんだろう。

たまに舐めては子ども時代を懐かしむ飴玉みたいに、そればかりを食べない程度に時々味わえればいい。

 

ちなみに強くわたしを呼んだ彼女は、わたしが「こんな先輩に本当はなりたかったな」と思った姿をそのまま体現してくれていた。わたしに憧れて、わたしの夢を代わりに叶えたかったのだと言う言葉は本気だったらしい。

終わったと思っていたわたしの思い出に、ひとつ「後輩になにかを残せた」というちいさな輝きが灯った。

それを見届けに行けたこと、最後まで居たからこそ見届ける権利を捨てずにいられたこと。そのふたつだけでも、意味のあるものになってと願っていた4年間が報われた気がした。

センチメンタルに浸るだけじゃなく、無駄だと思っていた過去にきちんと意味がもらえた。だから、これでよかった。