午前1時のレモネード

翌朝の化粧ノリより、夜更かしの楽しさが大事。

あの頃夢みてた場所に半分だけ辿り着いてみた話。

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生まれた街で暮らしていた高校生までの頃、私には可愛すぎて可哀想になりそうなちっぽけな夢があった。

ベタな田舎者の憧れすぎて恥ずかしいそれは「駅と無印良品とスタバが徒歩圏内にある場所に住む」。

なぜってその頃の私にとって、都会の象徴は無印良品スターバックスだったのだ。置いてあるもの全て、飾り気なくシンプルだけど洗練された雰囲気が都会的だと思っていた。

近くでコーヒーを飲むところなんてコメダ珈琲店くらいだった(好きだけど)。綿矢りさの「蹴りたい背中」で、主人公が無印良品の店内でコーンフレークを試食しまくるシーンが印象的で、なぜかとてもクールだと思っていたのも覚えている。

 

当時の私が住んでいたところはいかにも田舎というほどではなく、駅までは徒歩30分以上1時間以内くらい。

遊ぶところも買い物に行くところもイオンが定番。コンビニはそこそこある。ファミリーマートにちょっとだけ置いてある無印コーナーが唯一の無印良品との接点。そんなよくある地方都市だった。

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好きな人たちの思想までも愛したい人生だった

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今暮らしている街から地元まで、約100km足らず。電車で片道1時間半ちょっと。遠すぎず、近すぎず、まあちょうどいい距離だと思う。

 

問題は、私は実家と相性が良くないのに、実家に帰らなければ友人に会えないことだ。

私の交友関係にも問題はあって、元々深く狭く派な上に、地元も大学も今暮らしている場所からほど遠いので近くに友達と呼べる人が全然いない。

だから、友達と遊ぶとなると実家まで遥々帰ることになる(ときどき、今いる街の近くに実家がある大学のサークル仲間たちと会うこともある。ただほとんど異性なので、話が合わない部分がどうしたってある)。

 

とはいえ私は普段から人と会うと元気が出て充電できるどころか、消耗して疲れるタイプの生き物だ。近くにすぐ会える友達がいないのは、個人的にはそれほど問題でもない。本当に会いたい人にだけたまに会えればいいから、友人の居場所が遠いのは別にいい。

本当の問題はそこじゃない。こんなことを言うのも、反抗期が抜けきらない中学生みたいで本当に嫌なのだけれど。私にとって実家は最大の鬼門だ。

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申し訳ありませんは魔法の言葉じゃない

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まだ頭が働かない月曜、朝9時前。

「だからさ、さっきから『〜かと』だの『おそらく〜』だとか、なんで断言しないわけ?」

「その言い方ってさ、ウチにも非がある『かもしれない』ってことだよね?あなたの言い方ってそういうことになるよね?」

「御託はいいんで、ミスしましたって認めて謝ってくださいよ」

といったような台詞が耳を流れていくのは認識しているんだけど、どうしたらいいか分からない。つまり何だ?この人は何をしてほしいんだ?なんて言ってほしいんだ?って謝ってほしいのか。

 

思考がそこに辿り着くまでに、恥ずかしながら「ええ」「はい」「申し訳ございません」を口の中でモゴモゴと動かしながら約1分かかった。

学生時代、教師に本気で叱られている時なんかにたまにあった、ふと冷静になって「今なんでこんなに叱られてるんだっけ」と考えてしまうような状態。あれに一瞬囚われていた。目の前に感情的になっている人がいると、なぜか反比例したように冷静になってしまう、あれ。

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第二新卒が転職して半年。社員数2桁の中小企業から、4桁の企業へ転職して思うこと。(2)

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こちらの記事の続きです。

第二新卒が転職して半年。社員数2桁の中小企業から、4桁の企業へ転職して思うこと。 - 午前1時のレモネード

第二新卒で転職してみて約半年が経ち、前の記事では前職と現職で何が変わったのかをざっくりとしたスペックで比較しました。

こちらの記事では、特に仕事の内容や環境・精神面など、具体的な部分で変わったことをまとめていきます。

第二新卒が転職して半年。社員数2桁の中小企業から、4桁の企業へ転職して思うこと。

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お久しぶりです。最後の更新が7月末。半年まるっとブログが放ったらかしになっていました。

どれくらい放置していたかは、残暑の時期には更新するつもりだったからこんなイメージ画像だったことが物語っていますね。

たぶんもう見てくれている方いないので「お久しぶり」も変だけど、そこはまあもういいや。

 

 

言い訳はひとまずこのくらいで。

その間に新卒入社2年目の企業を退職、2社目となる転職先に勤務し始めました。一応業界も職種も違うまっさらな状態で、ぺらぺらな第二新卒はおたおたと再スタートしました。

正直、早すぎることに2日目あたりから緊張することなく馴染めて、びっくりするくらい快適でした。人見知りにしてみれば本当に驚き。

馴染みやすかった要因としては、中途入社の受け入れ体制が整っていたことが大きいと思います。規模が大きいぶん中途入社も多いので、第二新卒での転職も珍しくない。このあたりも助かりました。

 

でも何より、社員のキャラやテンションが自分に近いこと。それから、就いた職種が未経験とはいえ自分のずっとしてみたかった職種であること。

その辺りがとても楽で、なんだか息がしやすくて。学校や部活みたいに「みんな大好き!最高!」とはさすがにならないけど、居心地はいいです。

ただ何かしらアウトプットし続けることが仕事なので、プライベートでは書いてアウトプットすることから遠のいてしまっていたなと。強いて言えばそんなところだけ、少し変わってしまったのかな。

 

 

とはいえ、前は「どの会社でもどこかしら合わないところはあるし、どこかしら無理はしないとやってけないでしょ」と思ってました。

でも転職してみて、今のところは「自分に合う会社って探せばあるんだなぁ」と思えています。

そんなわけで、ある程度落ち着いて周りも見えてきたので、第二新卒が中途入社をしてみて感じたことを綴っておこうと思います。

まずはざっくり、分かりやすく数値などの指標でまとめられそうな部分から。

 

(1)事業所

地方内に2ヶ所・転勤なし→全都道府県に事業所あり・転勤あり

転勤があるかもって時点で総合職感が増しますね。

既に家を出ていて、身内の危篤でもなければあまり地元に執着もない(むしろよほど僻地でなければ知らないところに行ってみたい)人なのでばっちこいでした。

 

(2)総社員数2桁→4桁後半

前職は「ワンフロア1桁〜10名台」でしたが、現職は一気に「支社によりワンフロア300名超」です。同じ部署の人だけで前職の社員を超えてます。

学校のひと学年が全部ワンフロアにいる感じですね。なのでクラスという名の部署が違う人はもうさっぱり知らない人です。

 

(3)部署数実質3部署→20部署くらい

前職は「営業部からの異動は実質なし・部以下の課が存在しない」でした。営業部と、役員が兼任している総務部と、私のいた部署だけ。

私のいた部署にはそれほど人は必要ないので、営業に回されたらもう戻れませんでした。

対して現職は「事業所営業所課が無数にある(少なくともひと目では数えられない)・人によっては異動も多数」です。異動して3ヶ月でまた異動になる人もごく稀にながらいるらしい、というかいた。

 

(4)入居ビル

高さ20mのグループ会社所有ビル→高さ約200mの合同オフィスビル

ちょっと分かり辛いんですが、前職は「ビル内の一室貸切(学校の教室と同じかやや広いくらい)」で、現職は「ビルのワンフロア貸切(300名は同じフロアに入れる程度の広さ)」です。ほんと分かり辛いな。

ただ、入社初日にオフィスに入った時にまず思ったのは「部屋、広っ…」でした。同じフロアにいるのに、視力的にも物理的にも見えない人がいることが驚きでした。

前職のオフィスは常に見えるところに社長も役員も部長もいて息苦しくて泣き出しそうでした。いつもブラインドが降りていて、薄暗い部屋でした。今のオフィスに来て、ああ明るくて広くて息がしやすいな、と思ったのを覚えています。

 

(5)社員特徴

40代以上中心・少人数(2桁前半)→20代〜30代中心(4桁後半)

前職は「20代は片手以下・新卒は毎年は採らない・採っても1人か2人」。

対して現職は「新卒は毎年3桁単位で採用・各部署に1人ずつくらいは同期が存在する」規模です。とにかく若い。お局さんとかいない。社内でも部署によるようで、私の部署は特に若いです。20代後半の課長は当たり前、所長やエリア長でも30代前半。

内勤なこともあって余計に人と会う機会がなく、いつの間にか最近ザ・おじさんな方に接する機会がないなと気づいた時はハッとしました。

 

人数についてはたぶんですけど、前職の本体企業を受ける総人数と、現職の毎年の新入社員が同じくらいなんじゃないかと。

中途社員でも全国で毎月2桁とか採用しているようなので、本当に狭き門でもないです。こんなに増やしてどうするんだろうと思いますが、営業さんが辞めていくことが多いみたいですね。

とにかく「前の会社の空気感とか常識とか、たぶん何の役にも立たないな」と真っ先に思いました。

 

 

うん。そんなわけで、逆に前職と現職の共通点がほぼ見当たらないんですよね。

共通している部分もあるにはありますし、だからこそ2年目(正確には1年3ヶ月目というほぼ新卒に毛が生えた状態)での転職活動でも「自分はコレができます」と言えて、ちょっと専門職っぽい要素のある今の仕事に就けました。その点では前職に就いていてよかったと思っています。

ただ何がどう役立ったか、をあまり具体的に語り始めると一気に前職や現職が絞られそうなので、ここはある程度で割愛します。いつか転職活動中のことを書いたらちょっと触れるかも。

 

前提として言っておくと、決して「大企業に転職したぞ☆」みたいな自慢がしたいわけじゃないんです。

だって毎年3桁とか採用してるあたり、入社が狭き門とは絶対に言えないじゃないですか。

中途入社も多いので、入りやすい会社だとは思うんです。会社の規模が大きいからって、私は難関を潜り抜けた選ばれし人材ってわけではない。

ただ、仕事をする環境が180度とは言わずとも120度くらいは変わりました。精神状態が一気に安定したので、QOLも間違いなく良くなりました。

あとは自慢したいわけではないと書きましたが、やっぱり知人や親戚なんかに勤務先を聞かれて社名で通じるのはラクだし嬉しいです。何より前職で思っていた「私は社会の何の役に立っているんだろう」に、自分の好きなことで貢献できて、明確な答えを持って働けているのが嬉しいです。

 

なので、転職して半年。

今思うことは、総括すると「転職してみて良かった、本当に」です。

ここまではざっくりとスペック的に前職と現職を比べてみたんですが、それを踏まえてこのくらい変わっても人は生きていける!とか第二新卒でも転職でこのくらいのキャリアチェンジは叶う(こともある)よ!的な意味を込めて、もう少し具体的な部分も掘り下げてみます。

ただ長くなってしまうので、一旦具体的に変わった点については次の記事に分割します。 

ついでに転職活動中にビビって下げていた、前職で本気で病みかけていた頃の闇のような記事も時効と判断して、ビフォーアフターで上げておきます。しれっと。もしお暇があれば「これかな?」と探してみてください。

すぐ隣のパラレルワールドを、忘れない

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数週間の有給消化に入って、気付いたことがある。

社会人になってからの私はめっきり「平日の昼間」の世の中のことを忘れていた。

朝出勤して、帰る時間になって気付けば日が暮れているから、この季節は何時まで明るいとか何時から涼しくなるとかそんなことも分からなくなっていた。

そう気付いたつい最近になって他の方のブログでも似たことに触れた記事を読んで、自分だけじゃないんだと安心したけれど、きっちりカレンダー通りの生活をしていると本気で分からなくなるものだ。

 

子どもの頃、平日の昼間は風邪を引いて学校を休んだ時だけ味わえる特別な時間だった。

田舎の住宅街はひっそりとしていて、外は明るくて鳥なんかも鳴いているから孤独で不安ではないけど、それでも「世界には自分だけ」みたいな不思議な感覚にわくわくしていた。

大学時代もわりと平日の昼間に暇し放題だったはずだけど、あの特別感はもうなかった。

たぶん、同じように暇を持て余して辺りをほっつき歩いていた、同じ大学の学生の存在によって特別感は失われてしまったんだろう。

それから単純に、私の通っていた地方大学の周辺には特別感を感じられるような遊びスポットが存在していなかったのもあるんだろうけど、悲しいのでこれ以上は考えない。

 

少し大人になって働き出して、外回りをしていた頃は平日昼間の街中を歩き放題になった。

ただ子どもの頃とも大学の頃とも違って都会に出てきたので、平日昼間でも街は人で溢れていて「世界に自分だけ」なんて感じる余地はどこにもなかった。

その特別感が失われたことだけを何となくさみしく思いながらも「平日昼間に、明らかに仕事でなく好きに街を歩いている人は何をしているんだろう」なんて少し羨ましく思っていた。

平日昼間は土日と違ってどこもそれほど混んでいない。仕事後の夜と違ってお店の閉店や電車の時間も気にしなくていい。そんな街を、私も仕事と関係なく気楽に気ままに歩いてみたかった。

 

 

そしてこの夏、仕事を辞めることになって昼間にもたっぷり時間ができた。

働いていた頃は「平日の昼間に出歩いていたら自分はどう見えるんだろう」なんてぐるぐると考えていたけれど、いざとなると気にならなかった。

考えてみれば平日が休みという職種の方はたくさんいるし、今の私ならギリギリ大学生か大学院生くらいにも見えるだろう。

そう思って、土日は混みそうだからと敬遠していた諸々の手続きをこの休みの間に済ませてきた。

それでも、平日に働いていた頃の自分が思っていたほど土日との違いはなくて「そういえば今日って平日なんだっけ」とハッとしたことの方が多いくらいだった。

 

いざ街に出て歩いてみると、平日の昼間でもショッピングモールは学生や主婦や平日休みのサラリーマンで普通に賑わっている。

病院や役所もやっぱりそこそこ混んでいる。

思っていたより、私が「ひっそり静まり返っている」だとか「特別な時間」だと思っていた平日昼間の世界は「普通に賑やか」な世界だった。

平日に働いていた自分からすれば、裏世界のような中身不明のびっくり箱のような世界だったけれど、そんな大層なものではなくて私が働いている間も淡々と世界は動いている。

少なくとも別に、私の知っていた土日だけ賑やかな世界が普通でもなかった。

 

また平日に働き出したら、平日昼間の世界は私には観測できない世界になる。

何が起きていようとリアルタイムでこの目で見て知ることは叶わなくて、私の知らないちょっとしたパラレルワールドが延々と続く。

どちらにしろ、平日に働いていれば平日昼間の世界を知ることはできない。ずっと休みの生活を送っていれば、平日に世の中を回している側の人々の世界を知ることはできない。

互いが互いにとってのパラレルワールドに近いと思うのだけど、自分の見ていた世界だけが当たり前になる前に、このタイミングでふともう片方の世界を思い出せてよかったなと思う。

もうすぐこの有給消化の日々ともお別れだけれど。単に休めたというより、色々なことを思い出せて気付けたことに意味があったと思う。新しい場所で、またこれから頑張ろう。

大人になることの意味がわかった気がしたのだよ

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転職に伴う有給消化のおかげで、このところの私は社会人でありながら夏休みを満喫している。

大学生の頃は2ヶ月くらいあった夏休みだけど、正直なところ遊んだり出掛けたりするお金もなかったので、ただただ時間だけを持て余していた。

「学生の頃は時間があってお金がなく、社会人になればお金があって時間がない」とはよく言うけれど。まさにそうだと、社会人1年目の去年は噛み締めていた。

 

ただ、今の私は社会人なのに夏休み中。

つまり(学生時代よりは)「お金もあって時間もある」状態で、おそらくこんな機会はもう二度とない。

正直なところ私は昔からお金を使うことに罪悪感と抵抗がありまくり、貯金残高が減ると不安で泣きたくなるので、極力お金は使いたくないタイプではある。

でも学生時代にぼんやりと「時間はあるけどお金がないからできないな」と思っていたことを、「お金がない」というネックを除いて実現するなら今だと思った。

 

学生時代、それこそ中学生あたりからずっと「いつかしたい」と密かに暖めていたことがあった。

それが「遠足や遠征で大人に連れられて行ったところにひとりで行き、ひとりで好きに歩くこと」だ。つまり言ってしまえばひとり旅。

ただ普通のひとり旅と少し違うポイントは、観光スポットをひとりで巡るのではなく、名所でもなんでもなくてそれでも「自分にとっては思い出の場所」を記憶を元に探して歩くのだ。

ただ私が楽しいだけの、写真を撮ってみてもフォトジェニックでもなんでもない旅。それでも私の中高生時代のガラケーで撮った写真よりは、よっぽど鮮明に映せるはずの風景をもう一度だけ見に行きたかった。

 

何よりこれは私にとって、ちょっとした供養に近い儀式でもあった。

中高生時代の「いかにも青春な思い出」は、擦り切れそうなくらいに脳内で再生を繰り返すうち、景色ごとどんどん勝手に美化されて色鮮やかになっていた。

最近ではもうはっきり記憶の輪郭を思い出せなくなってきているのに、ただ綺麗で色鮮やかだったという羨ましさだけが残っている。

ふと思い出しては、はっきりしないものに後ろ髪を引かれて、勝手に憧れて焦がれて苦しくなる。もうそんなことを止めたいとここ数年思っていた。

そのためにも思い出の景色を、脳内の記憶ではなくデータとして手元に置いておきたいと思った。あの景色は10代の少女でなく20代になった私でも行ける、ネバーランドでもなんでもない場所だったと自分に言い聞かせる材料がほしいと思った。

 

お金がかかるとはいっても海外でなく国内旅行だから、10万円〜単位を使うわけではない。ただそれでも1ヶ月分くらいの食費は飛ぶ。

片道の移動時間も3時間超え。歩き回って疲れて日帰りが厳しければホテル代もプラスでかかる。

「社会人の夏休み」中でなかったこのところ1年の私には、時間とお金両方、プラス体力を理由に踏み切れないままの気持ちだった。

だけど今の私には「面倒くさい」以外に踏み切らない理由がない。

休暇の過ごし方を聞いてくる家族には、呆れながら「そんな特に何もないところに何をしに行くの?お金と時間の無駄でしょう?」だの「思い出巡りって、お前の時間は中高生で止まってるの?」などと言われた。

でもこの7、8年暖めすぎて発酵しそうな思いをいい加減どうにかしたくて、構わず電車に乗ってきた。

 

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3時間と少しかけてたどり着いたそこには、やっぱり別にフォトジェニックでもなんでもない、だけど記憶の中と同じ景色があるだけだった。

ただの試合会場(というか施設)があって、もう私とは何の面識もなければ世代も多少違いそうな中高生が、昔の私のように我が物顔で歩いているだけだった。

それを寂しいとも羨ましいとも思わなかった自分にホッとした。ただただ、いつかこの子たちもこの景色を思い出すなら、懐かしく優しくて色鮮やかならいいなと願っただけだった。

 

私の記憶の中の青春の風景は触れたら消えてく幻でもなんでもなく、今も来られる場所として変わらず在った。そう確かめられただけで満足したし、安心した。

そして、この満足と安心を得られたことが、私が少し大人になった意味なんじゃないかと思った。

何年も惑わされていた「青春の風景」という幻は、その気になればいつでも来られる現実なんだとずっとずっと確かめに来たかった。

だけどずっとずっと持てなかった決意と時間とお金のセットは、大人になったから手に入れられたのだ。

 

そもそも家族に言われた「お前の時間は止まってるの?」「過去に囚われず今を生きなさい」は、私にとっては見当違いな指摘だ。なに言ってんだって感じでしかない。

幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、でそれぞれ世界が完結しているわけじゃない。というかある程度連続性があるのが普通だろう。

今の私の中にも、幼稚園の頃から持っている願いもあれば高校生や大学生になってから夢見ていることもある。それぞれの時代の思いを抱えたまま今も生きている。

抱えたまま捨て切れていないのは、今までの私には時間なりお金なり立場なり何かが足りなくて、その思いを叶える術がなかったからだ。

私が大人になっていく意味は、その「いつかの自分が叶えられなかったことを、叶える術を手に入れていくため」なのだと思った。

 

書き出してみれば、ものすごく当たり前のことすぎて笑ってしまう。

それでも「今できないことでも、大人になって叶えたり解決したりできるならそれでいいのか」と気付いて少しラクになったし楽しくなった。

もちろんその時にできないと意味がないこともある。遡って過去の後悔を消すこともできない。今できることは今やる。 

問題は先送りしないけど、やりたくてもできないことは先送りしてもいい。少なくとも、今すぐ叶わずとも年月が経っても消えない願いならこれでいいんじゃないだろうか。

今の私には、子どもの頃に将来の自分に持っていた、漠然として大それた夢と希望は持てないし応えられない。もう私には夢なんてないと思っていた。

そんな今の私にも、実はまだ託されたままの願いはあったし、これからも叶えられる小さな夢がまだあるかもしれない。

 

子どもの頃の私は、早く大人になりたかった。小さな田舎町をさっさと出て、都会に住みたかった。

中高生の私は、大人になりたくなかった。もう今のままずっと時間が止まればいいと、きっと何者にもなれない自分は小さなこの街でこのままモラトリアムを過ごせればいいと思っていた。

大学を卒業して社会に出た今も、これ以上大人になりたくないと内心ずっと唱えていた。

でも、今の「大人」レベルじゃ叶えられないままの願いがあるかもしれない。もう少し大人になれれば果たせる夢があるかもしれない。

小さかろうと大きかろうと、大人も夢や希望を捨てずに持っていていいんだ。そう気付けたことが、きっと私がまた一つ大人になった意味なのだ。