午前1時のレモネード

翌朝の化粧ノリより、夜更かしの楽しさが大事。

理解より共感より、私たちに名前をください。

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帯に短し襷に長し、じゃないけれど。

マイノリティを名乗れるほど多数派ではないし、マジョリティぶるにはよくある話すぎる。こと恋愛とか結婚だとかの話において、だ。

 

私は性的マイノリティではないけれど、たぶん性役割においてはマイノリティだ。というか、何にも分類されたくない。

子どもだと言ってしまえばそれまでだけど、誰かの妻になれる気がしない。というかむしろ積極的に、なりたくないとさえ思う。親になんてなれるとも思わない。こんな自分に育てられるくらいなら初めから生命として宿らない方が幸せだとすら思う。

そんな人間が結婚適齢期の男性と付き合うのも申し訳ないので、恋愛からも距離を置きたくなっている。

でもだからと言って、男性に混ざってバリバリ働きたいわけでもない。男性のようになりたいとも、なれるとも思っていない。どう足掻いたってまだ男女の社会進出に差がある現状で、同じようになれるとまで夢見られるほど幸せな思考回路にはできていない。

 

女性であることに抵抗を覚えたことは、ない。

少し苦手ではあったけど、制服のスカートを履きたくないほどではなかった。コマのように回るとひらひらくるくるする、黒くて可愛げがないけど綺麗なプリーツスカートのことは愛してさえいた。

化粧をすることにも、やる気は大してないけれど反抗するほどではない。無防備よりは武装した方が心強く生きていける。

性行為において受け入れる側であることも、いわゆる奉仕をすることも、相手が恋人であれば抵抗なく受け入れられた。

 

だけど「女性らしさ」を求められるのは死ぬほど苦手だった。気持ち悪くて泣けさえした。

曰く「女は実家にいるのが一番幸せで親孝行」。曰く「女が高い金をかけて大学になんて行く意味はない」。「いつか嫁に出て他所の家に入る娘は、結局この家の人間じゃない」。「この学校(家族が通っていた女子校)を卒業した生徒が、いつか結婚して子を設けて、その娘もこの学校に入るならそれほど素晴らしいことはない」。

そんなありふれた言葉にいちいち噛み付きたくなる。いちいち噛み付いていたらキリがないことにまた絶望して、こんなのおかしいと噛み付きたくなる。

それを「こんなものだ」と消化できたら楽なのは分かっているけれど、マジョリティとして楽に生きるためにそこまで割り切ることはできない。

 

結論はたぶん出ている。生物学的に女であることに抵抗も違和感もない。けれど社会的に女として生きることには抵抗がある。多数派の人が受け入れているらしいことへの、違和感を飲み込めるようにはなれない。

「それを飲み込めるようになったら大人だ」と言うのなら。「飲み込めない、精神が子どものままだから結婚できない」と言うのなら。一生独身で構わない。

本気で心からそう思うのに、「まだ若いから」、「視野が狭い」、「考え方が頭でっかちで固い」と言われて一過性のもの扱い。

いわゆる中二病や大二病のように「大人になれば落ち着く」で処理されて終わり。マジョリティに溶け込むことを覚えることが大人で、そうできないのは精神が未熟な子どもだからだ。お前の考えには欠陥がある。被害妄想かもしれないけれど、そんな扱いだ。

 

「意地を張りたい気持ちは分かるけど」、「素直になりなよ」、「いつか落ち着くから」。

どうしてあなた達が勝手に私の思考の行く末を断定するんだ。当たり前に自分たちと同じようになると、当たり前に信じ込んでいるんだ。

ねえ、そこに違和感も何もなかったの。あなたは初めから「当たり前であることが当たり前だった」、そんな幸せな人間だったの。それならせめて理解してくれとは言わないから、理解しているフリもしないでくれ。

こんな私の見習えるような先人には決してなってくれ得ないくせに、自分も通った道でもないくせに、知ったかぶりだけはしないでくれ。「ほとんどの人がそうだった」からって、なんで必ず私もそうだなんて決めつけられるんだ。

 

自分は普通だと疑いもしなくて、「普通な自分」が接する人は普通であると疑いもしない。

私みたいな奴も「少し難しく考えすぎて遠回りしているだけで、いつかは誰しもが同じところに辿り着く」と、無邪気すぎていっそ残酷なほどに本気で思い込んでいるんじゃないだろうか。

こちらは本当に心から思っているのに、どう考えてもどう努力しても、というか考えを変えるとか努力するとかでどうにかなる次元ではないのに。そういうところがどうしてもダメだ。

 

例えば、同列に扱うのもおこがましいけれど本当に例えば。「制服のスカート・学ランを着たくない」「男子トイレ・女子トイレを使いたくない」すらも「思春期の一過性のもの」とさえまだ扱われるような世界だ。

世間に押し付けられる性別と自分の認識する性別が違う彼ら彼女らの苦悩が、分かるなんて決して奢りたくはないけれど。1ミクロンくらいは似ている気がするのだ。

心からの感情や叫びを、そういう風に生まれて生きてきたものを「若いから」だけで片付けられたくない。「いつか治る」などと思考や精神の病扱いされたくない。

私の思想思考に勝手にレッテルを貼って、あなた達の理解できるところに収めようとしないでほしい。私を仕分けないで。

 

たぶん私の名前は「独身女性」それだけだ。これからもきっとずっとそうだ。

そこに「独身でいたくないけれど独身のままの人」も「強く望んで独身でいる人間」も、理由経緯がさまざまあったとしても。たぶんまだ向こう四半世紀くらいは「結婚できない可哀想な人たち」のサブタイトルが付けられるんだろう。

そうじゃなくて。それだけじゃなく何かを誇って主張できるくらいの名前が私にも、私たちにもあればいいのにと思う。

いわゆるマイノリティの方の中にもそれを良しとしない人がいることももちろん承知しているけれど、それでも。あの虹色の旗くらいに、強く誇って掲げられるものがあったらと願うのは、マジョリティ側の中のマイノリティの、ただのワガママだろうか。